001 クレヨン
こどものころ持っていたクレヨンにはきんいろとぎんいろがなくて、
きらきらひかるその色が欲しくて、あたしは泣いた。
静かなる日々の階段を、
隣の女が入院した。
隣の女というのは隣の家に住んでいる女のこと。
同じ年の数だけ俺たちは生きてきた。
同じ年、同じ学校、同じクラス。
人はそれを幼馴染と呼ぶんだろう。
幼馴染、その単語に俺がどれほど苦悩させられてきたか。
たかだか家が隣というだけで面倒を押し付けられ、(大体同い年だぞ、面倒みなきゃいけないほうがおかしい!!)
アイツが休んだ時はその日の配布物を頼まれ、
アイツと噂になった時にゃぁマジ切れしそうになったぜ。
まったく、幼馴染なんてろくなことねぇ。
そして今も、幼馴染と言う暗黙の呪縛に囚われている俺がいる。不毛!!
がちゃ。
病室のドアを開けるとアイツが寝転んだまま「よ、亮。」と片手を挙げた。
マジ切れ指数上昇中。
「よ、じゃねぇんだよ。お前なんだ、元気じゃねぇか。」
「元気じゃないから入院してるのに?」
「テメェ。」
「ご、めーん。亮、おこっちゃ嫌よ。ところで頼んどいた『ワンピース』の最新刊と『このミステリーがすごい』に選ばれた本、何冊か買ってきてくれた?」
「俺はパシリかっうの。」
そう言いつつもずしりと重みのある紙袋を目の前に差し出してやる。
「わぁい。ありがとう、亮。ってこれ『週間現代』と『サッカーマガジン』じゃん!使えねー!」
そう言って俺の労力の賜物を投げつけやがった。マジ切れ指数限界地寸前。
「お前なぁ、俺様の労力の結晶だぞ。おとなしく受け取りやがれ。」
「うう・・・アリガトウゴザイマス。」
かなり嘘臭い言葉だか許してやろう。
そのまましぶしぶ『サッカーマガジン』をパラパラとめくるアイツを、俺は不思議な気持ちで眺めていた。
「具合はいいのかよ。」
何となく所在なくて、見舞の花や色紙なんかを眺めつつ、俺は聞いた。
「まぁね。」
「何だよ、それ。」
「そのうち退院できるだろうって。」
「なによりじゃねぇか。」
げ。何て俺らしくない言葉。「早くよくなってね。 2−E村上」の言葉のように心がこもってない。
「だいたいさー、大げさなのよね。牧君もお母さんも。」
「何者だよ、そいつ。」
「ん?担当医。」
脱力。こいつと話をしていると疲れる。
「まぁ、いいんじゃねぇの。」
「亮が見舞にも来てくれるしね。」
「ババァがうるせぇんだよ。」
こいつが入院した途端、やれ見舞行けだのなんだの毎日言ってきやがる。かなりうぜぇ。
そんな訳で俺はここにいる訳だ、けど、途端にアイツの表情が曇った。
「何だ、そういうこと。」
「何だよ。」
「ならいいよ、帰って。嫌々来られても嬉しくない。」
「おい、」
・・・こいつ!俺に全てを言わせないように布団かぶりやがった。
「何だよ。勝手な女だな。」
「だって、おばさんに言われてきたんでしょ?」
アイツの声がくぐもって聞こえてくる。
くだらない痴話喧嘩も静か過ぎる病室ですると深刻になってしまう。それとも少しアイツの声が湿っていたせいか。
とりあえずこのまま引き下がってはいけない気がして、俺は躍起になった。
ガキの頃からそうだ。こいつは拗ねて駄々をこねれば何とかなると思っている。
「いい加減にしろ、テメェ。引っぺがすぞ。」
意を決して布団に手をかけると中から押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
・・・まさか。
がばり、と布団をめくると猫のように丸まったままくすくすと笑い続けるアイツがいた。
「テメェ。」
くそ!もう切れた。ムカつく。何なんだ、この女。
「あー、おかしかった。亮、そういうすぐ引っかかるとこ昔から変わんないね。」
にゃろう、まだ笑っていやがる。
「うるせぇ。」
一発小突いてやろうかとも思ったが、何となく気持ちが納まっちまった。くだらねぇ喧嘩のせいでというかお陰で?少し居心地の悪かった病室も何となく親しげなものに変わっていた。
それは俺たちのよく知る、
10数年変わらねぇ、懐かしさにも似た嫌になるくらいうざったい空気。
2人の歴史がつくりあげた、多分世界で一番近しい空気。
げ、キモ。誰が?俺が。
「ね、」
「あ?」
「何だか懐かしいね。こーゆうの。」
居住まいを正して、立ったままの俺をちょうど見上げるような形になってアイツが言う。
「中学入ったくらいから亮とあんま喋んなくなったじゃん?」
確かに。部活も忙しかったし、友達もできたし。それに正直こいつがうざかった。
俺は中学入ってから急激にモテだし、いっちゃぁ何だがハーレム?
毎日山のように届くラブレター。告白の呼び出し。選り取りみどりの状況。そんな中、下手にこいつなんかとつるんでいたら誤解されかねねぇ。
「あー、かもな。」
何となく後ろめたい気がして俺は目を逸らした。
「たまにはお見舞来なよー。おばさんに言われてでもいいから。」
からからと笑う。いつの時代の記憶とも一致する、変わらねぇ、笑顔。
「お前、素直に来て欲しいって言えねぇのかよ。」
毒づいた俺の言葉に、アイツはそのままの笑顔で、
「うん。来て。亮。」
驚くほど素直にそう、言った。
うん、来て。亮。
きんとぎんの入ったクレヨンをくれたのは亮だった。
「おまえ、そんなくだらねーことでなくんじゃねぇよ!ばぁか!」
そう言って、自分の24色のとあたしの12色のとを乱暴に交換した。
きらきらかがやくその色を、
あたしにくれた。
亮。
自分でもガラじゃねぇけど、部活帰りにアイツの病院にいくのは日課になりつつあった。
何がそうさせたのかわかんねぇ。
自分がいちばんわかんねぇ。
「わっかんねー。」
呟いてみる。
「何が?」
「この色紙の”かっこいい医者いたらショーカイして にょろ“のにょろって誰だよ、うちのクラスだろ。」
「あぁ、坂下さんだよ。にょろって呼ばれてんの、女子の間で。」
「あぁ?何だ、それ。」
「あたしも詳しいことはわかんない。」
闇に落ちた病室。冬の病院はいっそう冷たい感じがする。何となく暗い気持ちになる。
「亮、看護婦さんたちが亮のことなんていってるか知ってる?」
「知らねー。」
「すごーくかっこよくてやさしい彼氏ね、だって。」
けっ、と嘲るように笑う。アイツは何だかうれしそうだった。
「あ、もうすぐ面会時間終わり。ありがと。亮。」
わかんねぇ、わかんねぇ。
はき捨てるように乱暴に「別に、」と呟いて横を向く俺が、ぜんぜんわかんねぇ。
ただ闇に白く浮かび上がるアイツを見ていたら、
ただそれが溶けそうに白く、幽霊みたいにぼんやりしてきたアイツの顔を見ていたら、
そんなことどうでもよくなっている俺がいた。
多分、俺たちは知っていた。
動物が本能的にそれを悟るように。
俺とアイツも、わかっていた。
ただ、引き伸ばしていただけで。
嫌な天気だった。
朝からはっきりしない曇り空で、やけに気が騒いだ。
都の予選が近くて部活は休める状況じゃねぇのに、無理を言って休みをもらった。
いつもより早い俺の見舞をアイツは少し驚いて、それから笑った。
「ありがとう。」
どういう顔をしていいのかわからねぇ。でも俺は、いつものように悪態をつくわけでもなく、ただ
「おぅ。」
と答えた。
満足そうに微笑んでアイツは学校や部活の様子を俺に聞き、ひとしきり話し終わると、「疲れた。」と言って眠ってしまった。時間もあったし何となく帰りづらくてそのまま病室に残って暮れていく空を見守る。
朽ち果て、色を失う朱。その日一日はっきりしねぇ曇り空だったというのに夕暮れだけは恐ろしく綺麗だった。
ほとんど暴力的なまでに。
しんでいくそらとゆうやけのひいろ。
病室がすっかり闇に落ち、面会時間もあと僅かというときにぼんやりとアイツは目を覚ました。
「起きたのかよ?」
俺が聞くと、「うん。」とまだこころを半分夢の中に置いてきたみたいな声で答えた。
「ゆめ。」
「あ?」
「夢、みてた。小さい頃の、まだあたしも亮も小さい頃の夢だよ。」
病室は恐ろしいくらい静かで、医療器具の音が機械的に続いている。その無機質な音が一層静寂を醸し出す。
俺は黙って聞いていた。
「あたしのクレヨンが12色しかなくて泣いてたら、亮が金と銀のはいった24色と取り替えてくれるの。」
そんな夢、アイツはそう呟いて目を瞑った。
お前、それは夢じゃなくてほんとうにあった話、そう言おうとする俺より先に、
「あの頃から亮はお兄さんだったから。いつもあたしより先に行って、それであたしが来るまで待っていてくれるのよね。」
目を瞑ったままそう言った。そしてぱちりと目を開け、俺の瞳を捉えて言う。
「でもこんどは、あたしが先にいくね。」
「あ?」
何だよ、それ、おい。わかんねぇから。
聞こうと思ったのに、
「つかれたー、寝る。」
と言ってまた眠ってしまった。
永遠に。
隣に住んでいる女は昔から体が弱くて、
しょっちゅう入退院を繰り返していた。
余命を宣告された難病で、20までは生きられないと。
「亮が守ってあげなさいね。」
命ぜられるまま、
同じ年の数。
同じ学校、同じクラス。
遺品の中に俺が昔あげたクレヨンがあった。
金と、銀の。
きらきら輝くその色を握り締めて、
学校の屋上で俺は、大きな大きな円を描く。
幾重にも、幾重にも。
これなら其処からでも見えるだろう。
ちょうど巨大なリングのように。
敵のように空を睨んで、
見えるだろう。
アイツの言葉。その意味。
先に逝くね。
俺たちは同じ年の数だけ生きてきた。
同じ学校、同じクラス。
ひとはそれを幼馴染と呼ぶんだろう。
腐れ縁とも呼ぶんだろう。
だけど、俺は、
俺はそれを、愛と呼んでやる。
2003.1.19 sollatoyuki