068 蝉の死骸



ちりちりと焼ける腕が痛む。あかん。死んでまうわ。真夏の太陽は完全犯罪をもくろんどるんやないかと、なかばマジで思う。
高原(たかはら)(やまと)12歳。小学校最後の夏休みやった。

 

子供(コドモ)王国(くに)

 





 

 

「やーまーとー。キチいくでぇー。」
ダチの真咲(まさき)の声や。
「今行くわー。待っとれやー。」
俺はセレッソ大阪のキャップをかぶり愛車(BMWや)の元へ急ぐ。風を吸い込む。空を仰ぐ。世界は、広い。
「おっそいやないか、ぼけぇ。真咲さまを待たすなんて100万年早いわ。」
ダチの真咲は6年になってから初めて同じクラスになった。サッカーと遊戯王が好きで俺らはすぐに気ぃ合った。真咲は俺らのボスやった。師匠といってもいい。真咲のやることはごっつかっこええ。いつか、追い越したる、そういう思いで側にいた。真咲は俺のアコガレやった。真咲はボスで、師匠で、そして。
「倭、お前また背ぇ伸びたんとちゃうか。」
愛車(名前はツネや。)の前に立った俺に向かって真咲は言う。
「そうか?そんな変わっとらんと思うで。」
そう言う俺を真咲は眩しそうな目をして見つめた。
「うちなんかすーぐ追い越されてまうな。」
そして、真咲は俺が初めて認めた女やった。
 
「やっぱ世界はレベルが違うんやな。セリエAの試合観とったらJリーグがしょぼぉみえるわ。」
「せやけどJやって捨てたモンやないで。今ちっさいいうことは大きゅうなる未来があるっちゅうことやないか。」
俺たちはいつものキチでサッカー談義に花を咲かす。真咲は欧州好きで、俺は南米派。多少の違いはあるにせよ俺たちは基本的にサッカーが好きや。サッカーだけやない。真咲はスポーツのほとんどを好きやったし、そこらの男子よりもうまかった。野球をすれば4番でピッチャー、サッカーはGK以外のあらゆるポジションをこなし、バスケではばんばん点を入れまくった。真咲はかっこええ。女子の中には本気で真咲に憧れてるやつもおったし、男子には慕われとった。せやけど、真咲のいちばん近くにおるのは俺や。
「やまとー。」
真咲が呼ぶ。
「すごいでー。大漁やー!」
手には顔よりでかい西瓜。西原のじじぃんとこのやつや。
「すごいやんけー。さすがやー!一生付いてくでー」
俺らは、
「気付くの遅いわー。」
すごい。
一緒におるだけで何でもできる気がした。俺らは、自由やと思ってた。
真咲も俺も12歳。無謀で粗野で、どうしようもなく子供(ガキ)やった。
 






めっちゃ遊んで、ごっつ食ぅて、そんで、寝る。
毎日は眩しい。メシはうまい。笑って、けんかして、悪いことも少し、そんでも世界は俺の味方やった。味方や思ってた。
「倭―。」
階段の下から姉ちゃんの声。
「何やー?」
「おかんが呼んどるでー。」
「今忙しい言うてー。」
「何しとるん?」
「ドラえもん読破やー。」
けたたましい音がしてがらりと背後のふすまが開く。ゴンという音と共に後頭部に衝撃が走った。
「っつ〜!!」
「あほなこと言うてないではよ行って。あたしが怒られるんやからね!!」
まったく、うちの姉ちゃんは怒りっぽくてかなわん。俺はしぶしぶおかんの待つ台所へ向かった。おかんは台所で絹さやの筋を取っとった。まさか手伝えいうことやろか。そんなんやったら姉ちゃんでええやんか。俺はむっとした顔しておかんをにらむ。
「何?」
おかんは俺の顔をちらりと見て絹さやにまた視線を戻した。
「そこ座り。」
言われたとおりおとなしゅういすに腰掛ける。ちょうど西日の当たる位置や。
「倭、あんた最近誰と遊んどるん?」
おかんの質問の意味がつかめん。
「誰て?」
「遠野さんちの真咲ちゃんと遊んどるんやて?」
おかんの声はぴりぴりしとった。例えば近所のガキを泣かしたときやテストの点数が悪かったんを隠しとったことがばれたときのような声をしとった。
「せやったら何や。それがどないしたん?」
俺の声も挑戦的やった。そうや。今回のことは俺に非がない。自然と挑戦的にもなる。
「あの子はあかんよ。」
ぴしゃりと音がしそうな勢いでおかんは言うた。
「遊ぶんなら前みたいにしょうちゃんやかっちんと遊び。あの子はあかん。」
むかついた。何で俺の友達までおかんに指図されなあかんねん。めっちゃ腹たった。
「俺が誰が遊ぼうと俺の勝手や。いくら親やからっておかんにそんなん言われる筋合いないわ。」
俺はどんどんと音を立てながら部屋へ戻った。姉ちゃんが「うっさい!」と怒った。
真咲は、ダチや。ボスで、師匠やけど、それ以上に大切なダチや。俺は悔しかった。
 
真咲んちがちょっと変わっとるんは知っとった。ちっさな町や。そういう家はすぐ有名なる。何でも真咲のおとんは関西のほうではわりと有名な組とつながりがあるらしい。せやけど傷害事件おこして今はムショ入りらしく、真咲は物心付いたころからおかんと2人ぐらしや。おかんは人気のあるクラブのママをしとっておかん目当てに来る客もけっこうおるらしい。
真咲んちに関して俺が知っとるんはそんぐらいや。しかも真咲の口からやなくて噂にすぎん。それでも真咲は俺らのボスに変わりはなかった。真咲は真咲や。
何回か違うクラスのやつや中学生なんかにからかわれてる真咲を見た事がある。下向くでもなく、泣きわめくでもなく、そんとき真咲は笑うんや。口の端だけ上げて、まっすぐに相手を見据えて、不敵に笑うんや。
真咲はかっこええ。ホンマかっこええ。




 
何人か俺と同じようなこと言われたやつもいた。去るやつは去るし、残るやつは残る。
俺たちの中では親がなんぼすごくても、なんぼ金持ちでも関係ないねん。かっこええやつがボスや。
何でそんな簡単な事がわからんのやろ。
大人はあほや。
親がムショ入りやから。親が水商売やから。
そないなことが真咲と何の関係があるんやろう。
俺らの中でも真咲をそういった意味で特別視して憧れてるやつがおった。コドモにとってそういうんはスパイスなんや。せやけど真咲とは何も関係ないねん。
あほばっかりや。







 
「やまとー。」
いつものキチで真咲と俺は昼寝としけこんでいた。
「何やー。」
目をつぶっていても空の青さが痛い。風が俺らを撫でてった。
「お前はええなぁ。」
真咲の声がいつもと違ぉうとった。
「何言うてんねん。あほか。」
俺は笑いながらかわす。ほんま、なに言うてんねん。真咲はそないな声出したらあかん。
「お前はええ男や。」
真咲は続ける。俺は黙った。
「うちも男に生まれたかったなぁ。」
ちりちり、ちりちり、腕がいとうてかなわん。真咲の言うてることがちゃんと伝わって来ーへんねん。
「倭と同じ男に生まれてサッカーしたり、木ぃ登ったり、受験とか?レンアイとか?したかったわー。」
真咲はそう言うていつもの不敵な笑みを浮かべた。まるで空が憎くてしゃあないみたいな笑い方やった。「何てな。言うても始まらんのやけどな。」
「そうやで。俺は真咲が女でもサッカーしたり、木ぃ登ったり、受験も、恋愛も一緒にするさかい、そこんとこ頼むで。」
真咲は今度はにっこり笑って「おおきに。」と言った。
 
俺らはもがいとったんかもしれん。
この世には自分らの力ではどうしようもないことがあること、
俺らがガキやから、とか、俺らに力がないから、とか。
そういうこと見んようにして何とか手のひらの上に世界を収めて、
一生懸命やったんかもしれん。
I Can Fly?
I Can Fly?
I Can Fly?
I Can Fly?
 





7年越しの夢を見て地上に出てきた蝉の羽化した瞬間を手のひらの上で握りつぶす。
ぐしゃ、とも、くしゃ、ともつかないような音を立てて俺の手んなかで昇天するちっさな命。残酷でそれでいて胸のすくような快感に襲われるこの遊びに俺らは凝っていた。ほとんど捕りつかれるように小さな殺戮を繰り返した。この遊びを最初に始めたんは真咲や。
「どうせ一週間で死んでまうんや。せやったら夢見たまま死んでった方がええんちゃうか。」
真咲は抑揚のない声でそう言うた。
近頃の真咲は変や。なんちゅうか、刹那的や。この間みたいなことを突然言うてみたり、何やおかしゅうなるまでわろうてみたり。
「うち、おかしいねん。多分自分でもわかってんねん。」
おかしいってなんや。どういう意味や。
「倭、蝉みたく人も死んでまえ、思ぉたことあるか?」
俺にはないで。そないなことあらへんで。お前もないやろ?真咲。
真咲は何も言わんで、せやけどはっきりと肯定と分かる静かな笑顔を浮かべとった。
そのとき、世界が、俺らに、真咲に背を向けたような気がした。
 
黙っていても季節は過ぎ行く。移り行く。ただ眩しそうにめを細めてそのサマを眺めている俺ら。
俺らとは別のところで世の中が動いていくようや。





盆を過ぎると風にほんの僅かずつやけど秋が混ざり始める。俺はその日、過ぎ行く夏を惜しみながら膨大な量の宿題の始末に追われていた。大体小学生の宿題は多すぎるんじゃ。そして時間だけがムジョーに過ぎて行く。
「っあー!!!分かるか!こんなもんっ!」
俺はついさっきまで真剣に見つめおうとった『ナツヤスミノトモ』を放った。っていうか勝手に友達ぶっとるとこがいけすかんねん。
そのとき、ほんまに単なるカンやねんけど、真咲がおるような気ぃして窓を開けた。真咲はそこにおった。何や眩しいもんでも見るような顔で俺を見とった。
「どないしたん?上がるかー?」
俺はおかんに聞こえないようにそれなりに声落として聞く。真咲は笑うてかぶりを振った。
「ええ。おるかな思うて来てみただけやさかい。きばりや、自分。」
「おう!お前もな!」
そう言って俺らは笑いあう。いつも、いつも、そうやって笑いあう。
永遠に続くと思うとったありふれた日々。日常の中に埋没してまうかのような刹那。
そういうのを繰り返して大人になっていくんや、思ってた。そういうものの延長に俺らの未来はあるんや、そう、思ってた。
 










 
「嘘や。」
夏休みもあと僅かの8月の終わり。俺の絶望に似た声。俺と真咲の2人のキチ。
「嘘や。」
「嘘や。」
「嘘や。」
「嘘や。」
俺は膝小僧抱えてその場にうずくまった。だんだん声が弱々しぃなる。
「嘘や。」
もういっぺんだけそう言うて俺はすこしだけ泣いた。



 
俺らのちっさな町では今、ある噂で持ち切りやった。再婚。愛人。殺人未遂。大人たちはしきりに、そういう言葉を繰り返す。そして必ず、真咲の名前が出てきた。
「遠野さんちの真咲ちゃんやろ。奥さんの愛人刺したんやて?」
「怖いわ〜。せやけど真咲ちゃんもかわいそうな子やねぇ。」
「奥さん再婚しようとしとったんやって。」
 
どうせ一週間で死んでまうんや。せやったら夢見たまま死んでった方がええんちゃうか。
真咲、
蝉みたく人も死んでまえ、思ぉたことあるか?
真咲、
「言うてたやんか。ずっと一緒やって言うてたやんか。」
ずるずるとだらしなく流れる涙がうっとしい。頭上には狂っとるかのような蝉の声。
どっちがええ?夢見たまま死んでいくのと、この世界で歌って死んでいくのと。
どっちがええ?
 

 
そんなん、ちっともわからん。
ちっともわからんで。真咲。
 
 
俺がその手紙に気付いたんは陽の中に残る僅かな夏の欠片も消えてもうたころやった。
その手紙は俺らの集めとったカードん中に紛れてはいっとった。遊戯王と、セリエA選手カードの狭間に何でもないノートの切れっ端。それが真咲が俺に宛てた手紙やった。
 
 
倭へ。
女に生まれたこと、こないに後悔したんははじめてや。
お前は気付かへんかってんけどな、うちのカラダはどんどん女になってってんで?
お前はええやつや。
お前と会うて嫌で嫌でたまらんかったうちの人生も、少しは好きや言えるようなったで。
うちは多分、東京に行く。おかんの男がそこで3人で暮らそう言うててな。
あいつはいけ好かん奴よっておとなしゅう行く前に何かしたったるけどな。
せやからお別れや。
きばれや、倭。
おおきに。
                             真咲。
 
 
あほか。
こんだけでわかるか。
今生の別れもこないなカミキレ一枚だけか。お前らしゅうて怒る気もうせるわ。
真咲。お前は俺のボスで師匠で大事な大切なダチやで。
いつまでも、いつまでも
ダチやで。
 
 
 
ほんとうのことはわからない。
自分の力で生きていくにはまだまだ俺らは幼すぎる。
せやけど、
事実と真実は違うんやって、俺らは確かに知っている。
悲しいような空と、子供の王国の崩壊と、いなくなってしまった親友と、
ひとつの季節が過ぎ行く痛みを、
俺らは、
確かに
知っとったんや。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後書

過ぎぎ行く季節はどれも同じなのに、夏だけが痛く、悼まれるのは何故だろう。
私が小さかった頃、
かつて友達だったすべてのひと。
夏が与えてくれたあらゆること、
そんなことを思って書きました。
いつもいつも通り過ぎてしまった後、その眩しさに気が付くのに、
その時に君はもういないのですね。

2003/07/27恐ろしく晴れて、綺麗な青が目に痛む夏の日。
そらとゆき  
(偽関西弁申し訳ありません)