都心からローカル線でゆらりゆられて小一時間。

鎌倉は東京とは時間の流れが違うような感じがした。

時々思い出したように見える海がきらきら光っている。

「春の海、ひねもすのたりのたりかな。」

「何、それ?」

「国語で習ったでしょ。」

「そうだっけ。」

平日の電車は恐ろしくすいていて、

「おばちゃんばっか。」

「だね。」

カズヤはおおあくびをした。

眠るようにやさしい、春の終わりの、水曜日。

 


最終話 











お元気ですか。

 

 

書き出しがありきたりなんだよ。元気なわけないだろう。

カズヤがキャラメルの箱をあけて、銀色に包まれたその甘ったるいお菓子を差し出す。

「サンキュー。何か遠足みたいな。」

「お菓子は300円までです、って言われたよね。」

「せんせー、バナナはお菓子に入るんですか?」

「裕太みたいなやつってクラスにひとりはいたよね。」

シンジが水をさして、おれはわははと声を出して笑う。

 

 

元気がなくても君はきっと笑っているのでしょう。

 

 

「いたよなー。っていうかおれだっつうの。」

笑ってるよ。声に出して笑えば、自然と口角があがるシステム。

おれの顔は精密機械なみ。これが人生を円滑にする秘訣。

それなのにカズヤとシンジは黙って、

カズヤはキャラメルの包みを丁寧にのばして、シンジは缶のお茶をひとくち飲み込んだ。

これだから親友ってのは嫌だ。

おれの本当の笑顔とそうでない笑顔を瞬時に見抜いてしまう。

そして、ただ黙ってそばにいる。

 

 

思い出すのはゆうたの笑った顔ばかりで、

痛いような、笑顔ばかりで、

 

 

ゆらり、ゆらり、

すいている電車は深海のようだ。

 

 

ゆうた、

 

 

はい。

 

 

ほんとうは泣きたかったでしょう?

 

 

うん。

 

 

 

 

君はその水溜りのような瞳ですべてを見ていたんだろうか。

おれのきもちや、この恋の果てや、

遠い空の向こうにある世界の事なんか、すべて。

言葉を繋ごうとするおれを制して、

「黙って聞いて。」

長い睫毛が、白い便箋に陰を落とす。

 

 

私も、泣いてばかりいたんだ

君と出会う前、

やがて来るだろう「死」というものに対して、

怖くて、逃げたくて、何で私なんだろうって。

すごく、怖かった。

みんないずれは死ぬはずなのに、

私だけがその時期が早まって、

私の願いなんてほんと単純で、成人式に出たい、とか、お酒を飲んでみたい、とか。

ただそれだけなのに、それさえも叶えられない。

それはもう、絶対なの。

 

 

 

夏までには少し気が早いこの季節。

なるが死んで、3回巡った水曜日。

痛いくらいに晴れて、

君の不在にまだ慣れる事ができないおれ。

 

 

 

「海にでも行こうか。」

言ったのはカズヤだった。

「は?」

「だから、俺達3人、みんな明日学校サボって。」

「ありえねー。」

「部活はどうするの、都大会近いのに。」

「みんな、サボるんだよ。」

懇願するように、

「ぱーっとさぁ!」

いつかのおれみたいに。

 

 

 

 

低い雲、

寄せる波、

この空は、海は、君のいる場所まで続いているんだろうか。

 

 

 

いつか、海が見てみたい。

君は言った。

 

海が見てみたかったの。

ずっと、どんなだろうって思ってた。

夢見てた。

私にできないことを数えては、

それが叶う日のことを。

それはね、大好きな遊びのようだったの。

 

 

 

ゆうた、

 

 

君に名前を呼ばれるたび、おれの名前が何かきれいな呪文のように響いた。

どきどきしたんだ。名前を呼ばれるたび。

 

 

私、君と出会えて、ぜんぶ見たよ。

 

 

その細い手で、

俺の手を握り締めて、

生きている証のように、握る手のひらに熱を込めた、なる。

 

 

桜も、

海も、

恋も。

この世の中できれいだなぁと思うもの、ぜんぶ。

だから、

 

 

だから?

 

 

ゆうた、ありがとう。

 

 

包み込みようにやさしく君は幸福そうに目を細めて笑っていた。

 

 

ゆうた、ありがとう。

 

もう一度言って、

「・・・遺言じゃねーか。」

おれは言う。泣き笑いで。

「ばか。そんなすぐ死ぬみたいなこと言うなよ。」

「うん。」

「人間欲がなくなったらおしまいなんだぞ。おれなんか煩悩の塊で生きてるんだ。」

「あはは、」

「おれは、」

覗き込むようにおれを見る、その瞳の中で生きていきたい。

君の目蓋の裏側で、

例え君が永久に目をつぶったとしても、俺のことを思い出せるように。

「おれは、なるとまだいろんなことしたいよ。いろんなとこ連れてってやりたいし。」

「そうだ、部活の帰りにシンジとカズヤと行くパン屋のあげパンがすげーうまいんだ、今度なるにも食わせてやるよ。」

「うん、ありがとう。」

「おれの家にも遊びに来てよ。ばあちゃんも会いたがってたよ。」

「漆畑のおばあちゃん!懐かしいなぁ!」

「それでおれの秘蔵のビデオの数々見せてやるよ。稲本のサインだってあるんだぜ。知ってる?稲本。」

「手、握ったり、キスとか、エッチとか、いっぱいしてさぁ、こどもだってぼこぼこ産んでさぁ、おれはその頃世界を股にかける一流サッカープレイヤーなの。よくねー?そんでなるは一流プレイヤーの奥さんなんだぜ!どうよ?こんな未来。」

そんな、未来。

「うん。いいね。そんな未来。」

決して来ることのない、そんな未来。

「いいね。」

言いながら君はぽろぽろ泣いた。

おれが知る中で、はじめて見たなるの涙だった。

「ゆうた、」

「うん?」

「私、生きたかった。」

「うん。」

「君と、君のそばで、生きたかったよ。」

なるの最初で最後のラブレターは、ふたりの涙で滲んでしまった。

滲んで、きれいな模様をつくった。

おれたちは抱き合って、たくさん泣いて、泣き止んだら、キスを、繰り返した。

壊れたおもちゃのように、

ばかみたいに、同じ言葉を。

ありふれた、使い古しのその言葉は、今のおれたちには重く、まぶしすぎて、

それでも繰り返した。

ひとつひとつ確かめながら。

奇跡の起こる、魔法の呪文のように、

 

 

 

 

これが、なるとおれの物語。

 

 

 

 

 

急に風が強くなって雨のにおいを運んできた。

「降るかもね。」

「げー。たのむよ。」

「降るとしても通り雨かな。」

「だな。」

カズヤは3人分の飲み物を買いに、大きい通りまで行っている。

「シンジ、」

「何?」

「なんか、いろいろサンキュ。」

「何が?」

「いろいろだよ。素直に受け取れよ。」

「ふーん。当たり前のことをしたまでだけどね。」

「何かいちいちムカつくな。」

「そう?だっておれたち親友でしょ。あ、カズヤ帰ってきた。」

おーい、遠くの方で声がして、350ミリリットル缶3本抱えたカズヤが走ってきた。

カズヤは、おれたちの100メートル手前で派手に転んで、砂の上だったので顔を砂まみれにした。

「ばっかじゃねーの!」

「何もないところで転ぶなんて器用だね、カズヤ。」

「・・・!砂に足を取られたんだよ!」

大きな声で笑うおれたちの頭上、晴れたままの空から雨が降る。

 

一瞬、

言葉を失くして天を仰ぐ。

きらきらひかる、その粒は、おれたちの頭に、腕に、頬に、降り注ぐ。

かみさまのなみだ。

「天気雨を降らせる雲には天国があるって言うよね。そしてその雨は天国にいるひとから、地上にいる人への思いのシャワーなんだって。」

「そうなの?」

シンジの言葉におれとカズヤは同時に反応する。

「そうだよ。だから裕太、なるさんにちゃんと返事をしなよ。」

ぽん、

と背中を押されて、おれは、見上げた空に、雨に、なるに向かって叫ぶ。

 

 

「好きだ、」

 

君の手のひらの熱を思い出して、

 

「好きだ、」

 

 

「好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ、」

 

君の、笑った顔を思い出して、

 

 

「好きだーーーーーー。」

 

「大好きだーーーーーーー!」

 

 

 

 

なる、

 

 

 

ずっとずっと、

 

あいしてる。

 

 

 

涙は雨と一緒に流れていく。

おれの思いも、きっと君に届く。

 

 

 

 

がたんがたん、

 

揺れる帰りの電車の窓からぽかんと浮かんだ飛行船が見えた。

何となく満ち足りた、幸福なきもちでおれたちはそれを見上げた。

「どうよ。おれのなるへの返事は。」

「うん、格好良かったよ。」

「だろ?」

「俺が今読んでいる小説より泣けたよ。文才ないのに。」

「へー、シンジ小説読んでんだ?っつーか、文才ないのは余計だろ。」

「シンジ、何の小説読んでるの?」

「カズヤに言っても知らないと思う。」

「うわ、ムカつく!」

「じゃぁ言うよ?アーネスト・ヘミングウェイの短編集。」

「・・・・・・」

「ほらね。」

「そっかー、それより泣かすんだ、おれの告白。」

「裕太うれしい?」

「うーん、複雑。」

「なぁなぁ、それよかシンジ、さっきの話、」

「ん?」

「さっきの、天国の話、」

「あー、あれね、信じてるの?嘘に決まってるでしょ。」

「「やっぱりな。」」

シンジはこういうやつだ。

うわー信じらんねー、そう言ってカズヤは自分のことのようにショックを受けてるし、

おれたちの日常はこうやって過ぎていくんだ。

ゆるやかに。

そんなありふれた日常を、

かけがえのないものだと思う。

おれは、

君に生きていくことを教えてもらった。

俺の愛の告白、君への返事は届いただろうか。

答えは、雨上がりの空の向こう。

楽園のような、きれいな場所。

 

 

 

 

 

 

おれは漆畑裕太、14歳。

ひとにやさしく、地球にやさしく、

恋を知って、愛に生きる、

弱くて強い、

無敵の泣き虫スーパーマンだ。

遠い空の向こうの君に届くように、

おれは、笑うよ。

たとえどしゃぶりの雨だろうと、

明日晴れるなら、そのために。

 

 

 

 

 

 



かなしい事実をかなしいままに受け止めて、それでも明るい方へ進んでいこうとする、大事に今を生きている人たちの話が書きたくて書きました。
祈るだけで世界は変えられないのかもしれないけれど、その強い思いが、誰かを、自分を動かすことがあるんじゃないかと思います。
作中(2話)でなるが言っている局は某有名ロックバンドの曲です。裕太のイメージでした。
読んでくれてありがとうございました。

2005/05/04 
そらとゆき