そのとき恋は雪に埋もれた


あれ、と思ったのはその2回だった。その時は何の気もなくて、おいしいお酒を飲んでお腹もいっぱいになっていたので、ちかっと光るようなその一瞬はすぐに忘れてしまったのだけど、あとあとからじんわりその場面ばかりを思い出した。

 気に入った映画や物語のように、思い出すたびに私のこころをあたため、そして小さな光を宿す、日常の輝石。

 

 その日、私は米山くんの誘いを(またもや)断り、仕事で近くまで来ていた太郎ちゃんと待ち合わせて夕飯を食べながらちびちびと飲んでいた。あの一件以来米山君はよく誘ってくれるけれど、毎回他の誰かを誘ったり、予定を入れたりして二人にならないように注意していた。米山くんは特別に感じが悪いわけでもなかったし、容姿は割とタイプな方だった。それでも、彼に恋をするのは面倒だった。まだ何も始まっていないし、そもそも、彼のほうも私と恋愛なんかしようと思っていないのかもしれない。でも、ある種の淋しさをごまかす感じを、彼に汲み取ってしまった。同属嫌悪なのかもしれない。好きな人に好きじゃなくなられてしまった。確かにあった気持ちが消えてしまった。ゆっくりとひとりで失恋を認めていくのはつらいから。だから。

「それじゃあ、俺とお前も似たようなもんじゃん」

注文した茄子の浅漬けを食べながら、太郎ちゃんは私の米山くんに対する思いにそうコメントした。

「そう?」

「状況は似てない?そいつと、俺と」

確かにそう言われるとそうなんだけど、米山くんと太郎ちゃんでは決定的に何かが違う。

「そうかもしれないけど、違うのよね。何ていうか米山くんは先が見えるというか、もっと言うと目的が分かるというか・・・」

例えば必要以上にお酒を勧めるところとか、不自然な褒め方とか、もっと言うと時々合う視線とかにも、彼の意図する気持ちが隠れているような気がするのだ。人はこれを自惚れと呼ぶのかもしれないけれど。

「それに、太郎ちゃんは米山くんより私を好きになる可能性が低いから」

「何だよ、それ。お前がそいつより俺を好きになる可能性が低いんだろ」

良い意味で言ったのに、変な風に取った太郎ちゃんは少し拗ねた口調でそう言った。

「そんなことないよ。太郎ちゃんといると楽だし。話しやすいし。お酒の趣味も合うしね」

実際、こーじくんと付き合っていた頃より高い頻度で太郎ちゃんには会っている気がする。ひとりで飲むより淋しくないし、気楽だし、状況が似ているし。笑ってそう言うと、太郎ちゃんは「まぁ、俺もお前と飲むのは楽でいいよ」と言って目だけで笑った。

 その時に、あれ、と思ったのだ。お酒の効果で目元がふわんと緩んでことさらにやさしく感じた。その一瞬だけで、あとはお互いお酒を注ぎあってゆっくり飲んだ。そのせいか、量は飲んだのにあまり酔わなかった。ただ、あたたかくていいきもちになっただけの、良いお酒だった。

 私たちは、日本酒を2合飲んで、その店を後にした。火照った身体を冷やすのと、何となく別れがたいのも手伝って、地下鉄の駅一駅分歩くことにした。クリスマスや年末も近くて街中がキラキラしている、いい季節だった。きっとひとりで見たら哀しくなったり、切なくなったり、意味もなく泣きたくなったのかもしれないけれど、そのときの私はひとりじゃなかった。だから、そのまま美しく見えた。

「この時期っていいね。街がキラキラしてきれい」

私が言うと「そうだな」と太郎ちゃんも笑った。私たちはゆっくり歩いていた。歩きながら、自分の声が自分の声じゃないような、いつもより少しだけ高くて甘い声になっているような気がした。これが街のせいなのか、季節のせいなのか、太郎ちゃんのせいなのか分からない。ただ、ゆらゆらと、していた。夢の中を歩いているような、そんな感じだった。隣を歩く太郎ちゃんを見上げるように眺めて目が合うとにこっとして、再び前を向いて歩いた。お互いあんまり喋らなかったけれど、全然気詰まりじゃなかった。そして、何となく懐かしい感じがするのは、こーじくんと太郎ちゃんの身長が似ているからかもしれないと思った。私はこーじくんといるときは、一緒にいるのが楽しくてはしゃいで沢山話しかけた。伝えることも沢山あって、きれいなものやかわいいものや、あたたかなきもちになることがあると彼に話したくなって、あぁ、これが恋なんだと思っていた。こーじくんはいつもにこにこしながら話を聞いてくれて、絶妙なコメントもしてくれたけれど、そう言えば話すのはいつも私の方だった。冷静になって考えれば分かるのに、そんなことにも気が付かないで、そうか、やっぱり私ばっかり恋をしていたんだな。そして、そんな風に彼との恋を感じられるようになってしまって、本当に過去の恋になってしまったのだな、と思いちょっと暗くなったその時だった。隣を歩く太郎ちゃんが「あ!」と歓喜の声をあげた。

「何?」と言って太郎ちゃんを見ると空を見上げている。同じように見上げると、ちらちらと雪が降っていた。

「雪だ・・・」

感動したように太郎ちゃんは言い、そのまま黙って空を見上げた。夜に降る雪は何となく吸い込まれていきそうな感じになる。そのまま夜が落ちてきそうな気がする。周囲には私たちと同じようにこの冬初めての雪に時を止められた人たちが空を見上げていた。

 神様の気まぐれのように、雪はちょっとだけ降ってすぐにやんでしまった。それでも何となくいいものを見たというきもちがお互いのこころに残ってやさしい気持ちになった。私たちはまだ何かを期待するように空を見上げ、そしてしばらくして目が合って笑った。その時にまた、あれ、と思ったのだ。私は、何だかとてもいい感じの笑顔を残したくて、その気持ちが伝わるようにやわらかに笑った。きっと太郎ちゃんも同じ気持ちだったと思う。それぞれの生活で嫌な事があっても、この出来事を思い出せば自然ときもちがまるくなるような、そんな笑い方をふたりがした。

 こーじくんとの恋が終わった瞬間がもしあるとしたら、このときだったと私は思う。そのとき、突然降った雪とともに、こーじくんに恋をしていた私も静かに埋葬されたような気が、確かにしていた。