12.魔法

 

あのクリスマスの一件以来、罪滅ぼしなのか、じーはよく家に居てくれた。単に仕事が無かったのかもしれないけれど、冬休みを持て余している私にとってはうれしいことこの上ない。

「おじいちゃんの所に帰らなくても良いの?」と聞くと、「三が日のどれかに日帰りで顔見せに行くよ。ばあちゃんの墓参りも兼ねて」と言った。すぐに行き先を尋ねたり、帰宅時間を確認してしまう私の不安に、じーは気付いているようだった。思えば何度も同じ事を願っている。

4歳の頃からずっと。

私って成長しないな、と思いながら不安を解消するために同じ事を繰り返してしまう。

 

大晦日は紅白歌合戦とプライドを交互に見ながら、3人で鍋をした。すきやき。うちの大晦日はなぜか、すきやきと決まっている。(そしてうどんで年越しをする)さきちゃんもじーも日本酒を飲んで、けっこう酔っ払い、私は嫌いだった葱をちょっと克服した。(ちょっと克服と言うのは三口くらいは食べられるということ。大量は無理)そんなことをしながら、新年は静かに、あっさりとやって来た。私たちはテレビから流れる除夜の鐘の音を黙って聞きながら、好きな飲み物を飲みながらゆっくりとしていた。去年のことなんか振り返ってみて、新しい年のことを思ってみた。

年を越してからは、近所の小さな神社にお参りに行った。普段は地味で目立たない神社も、今日ばかりは人がたくさんいた。出店も何軒か出ていて、甘酒をただで振舞ったり、お餅を配ったりしていた。じーとさきちゃんはけっこう酔っていたので上機嫌で、私も、こんなに遅くまで起きていたのは初めての体験だったので、みんなテンションが高かった。何人かの参拝客に混じって私たちもお参りした。握り締めた十円玉を賽銭箱に投げ入れて、がらがらと鈴を鳴らして手を合わせる。私の願いはあのクリスマスの日からずっと変わらない。たった十円でこめかみに力を入れて強く願った。あんまり強く願ったので頭が痛くなってしまった。じーは「みゃあ、顔が怖いよ」と言って笑っていた。大好きな人たちと新しい年を迎えること、そしてそれが変わらず続いて行けば良いと思うこと。ただ、それだけのこと。

 

 

じーは、お正月を少し過ぎた週末、一泊二日でおじいちゃんのもとに帰った。ちゃんと行き先と帰宅時間を私に告げて皮のコートの襟を立てて出かけていった。お土産は何がいいかうじうじ悩んでいたので、地元の和菓子屋さんの芋羊羹がとてもおいしいことを教えてあげて、ふたりで買いに行った後、駅まで見送った。いつもアルバイトに出かけて行く時となんら変わりないはずだった。明日になったらじーは、お願いしたご当地キティちゃんのキーホルダーとだるま弁当を買って帰ってくる。きちんと約束をした。それでも、あのクリスマスの日を境に私の中で何かが変わり始めていた。私だけじゃない。私と、じーとの間の何か。突き詰めていくと何か、大きくて絶対的なものに繋がるような気がして気が付かない振りをしていた。わざと見ないように、通り過ぎよう。そこさえ通り過ぎてしまえばきっと何てことないんだ。今のような日々がずっと続く。それは日常の割れ目だ。

「行ってきます」

じーが言って、

「行ってらっしゃい」

私も言った。笑って。手を振るじーの目がうんと優しくて少しだけ哀しかった。

 

じーを見送った後、さきちゃんのアルバイト先のお花屋さんに行った。今日はさきちゃんの仕事がいつもより早くあがるので買い物をして一緒にアトリエに帰る。冬のお花屋さんは何となく色が少なくて淋しい。そのことをさきちゃんに言うと、「でも、冬のお花は強くて私は好きだな」と言った。そう言えば、椿も水仙も、何となく強くて潔い気がする。冬に咲く花はさきちゃんに似ている。私はさきちゃんのお花屋さんの店長さんにもらった水仙の鉢植えを眺めながらそんなことを思った。

私たちは商店街で夕食の買い物をして、アトリエに帰った。このところ帰ると必ずじーが迎えてくれていたので、灯りの付いていないアトリエはとても淋しく感じた。淋しい気持ちに気が付くのが嫌で、私はことさらにはしゃいでみせた。買い物のときも、いつもは言わないおねだりをして、その時期にはまだ高い苺やおまけ付のお菓子を買ってもらったりした。さきちゃんは文句を言いながらも私の我侭に応じてくれて、夕食の献立も煮込みハンバーグにしてくれた。

さきちゃんがいて、夕食を作るとき、私は必ず何かしら手伝って良いことになっている。最近気に入っているアニメや芸能人の話をしながら私は玉葱の皮を剥いた。会話が途切れてしまうと、じーがいないことを強く感じてしまう気がして、黙ってしまわないように話を続けた。そういうときの言葉はどこかうそっぽく、テレビの声のように響く。私はまだ淋しさや不安に対してどうして良いのか分からない。さきちゃんは、そんな私の一方的な会話をにこにこ笑いながら、時々質問を挟みながら聞いてくれた。かつて私たちは、そうして暮らしていたはずなのに、今となっては淋しさを誤魔化しているようにしか見えない。じーがいなかった頃、私たちはどんな風に過ごしていたのだろう。そんなに昔じゃないのに、ちっとも思い出せない。いつの間にか、じーはこんなに大きく育っていた。私の中で。

 

夕食のあと、さきちゃんと私は久々にいっしょにお風呂に入ることにした。桃の匂いのするバスオイルはさきちゃんのお気に入りで、きれいなガラスの瓶に入っている。いつだったか、さきちゃんのお誕生日にちえちゃんがプレゼントしてくれたものだ。最近はさきちゃんの仕事が忙しくなってきたし、じーもいるので別々に入ることの方が多くなっていたけれど、私が小さかった頃、さきちゃんとお風呂に入る時間は一日のうちでもっとも大切な時間だった。

私たちはお風呂の中でいろんな話をする。大体はその日あった楽しかったことや、嬉しかったこと、時には哀しいことや悔しいことだったりするのだけど、もっともっと長湯をしていたいときは、物語ごっこをした。物語ごっこというのは、お互い交互にお話を考えてひとつの物語を作っていく、というものだ。

「みゃあ、物語ごっこしようか?」

私が身体を洗っていると、湯船の中からぴかぴかした顔をしながらさきちゃんが言った。私は元気よく返事をして泡を洗い流して湯船につかった。桃のいい匂いが立ち上る。

「何の話する?主人公は?」

物語ごっこの主人公はとても重要だ。主人公がこの遊びの8割を担っているといってもいい。魅力的で愛すべき主人公であればあるほど、物語は長く続いていくのだ。

「何がいいかな、勇敢なお姫さま、正直で賢い男の子でもいいし、」

「かわいい動物でもいいね!」

湯船の中で向かい合って、私たちはいくつかの例を挙げていく。そして、さきちゃんはこんな提案をした。

「ね、みゃあ、らいおんの話にしない?」

「え?」

らいおんと言うとどうしてもじーのことを思い出す。せっかく明るくなった気持ちがまた少し沈んだ。

「らいおんって、らいおんみどり?」

私が暗い気持ちで聞き返すと、

「ううん。新しいらいおんの話。歌と赤のマルボロが好きでちょっとドジならいおんの話。」

「・・・それってさ・・・、」

「そう!もちろんモデルはつむじくん。ぴったりでしょう?」

さきちゃんは自信たっぷりに笑った。

「名前はらいおん丸にしよう。らいおん丸はお酒も好きだけどすぐに酔っ払うの。森の小さなアトリエに住んでいるんだよ。でも、らいおん丸の歌は森の動物たちは大好きで、毎晩いろんな動物が訪ねてくるんだよ。ハンバーグの大好きな子ねこみーあとか」

さきちゃんがどんどん楽しそうにお話を繋げていくので、つられて私まで楽しい気持ちになってきた。

「いいね!みーあはらいおん丸の親友なの!でも、らいおん丸の歌があんまり上手で素敵だから淋しがりの魔法使いがらいおん丸をさらって行っちゃうんだよ!」

「大変だ!みーあはらいおん丸を助けに行かなくちゃ」

私とさきちゃんは夢中になって物語りを繋げていった。お話の中で何度もじーを思い出して、らいおん丸のキャラクターにじーの要素を足していった。

勇敢で大きくて、お人よしでばかみたいにやさしいらいおん。

物語の中のらいおん丸と瞼の内側のじーとが重なって、物語ごっこが終わる頃にはすっかりじーがそこにいるかのように感じた。

不思議と、淋しくはなかった。

ただ、やさしい、包まれたきもちになっただけで。

あたたかで、幸福な、守られているようなきもちになっただけで。

それは、きっとさきちゃんの魔法なのだと思った。

淋しいとき、哀しいとき、さきちゃんはいつもこの魔法を使ってくれた。

数々の大好きな人たちがアトリエを去って行くとき、友だちとけんかをしたとき、さきちゃんの放つ魔法の力。

 

 

「みゃあ、淋しいときは、淋しいきもちを誤魔化さないようにしよう」

その夜、同じ布団に入って並んで寝ているとさきちゃんが言った。電気を消すと、桃の甘い匂いがいっそう引き立って、身体はまだほかほかとあたたかかった。

「きもちはどんどん変わっていくし、明日には淋しくないかもしれない。来年の今頃にはちがう誰かを好きかもしれない。みゃあくらいの年のときって、毎日いろんな事があって、いろんな人と出会うから、おんなじ気持ちをずっと持ち続けていられないかもしれない。だから、大事にしよう。今のきもち。見ない振りしないで、ちゃんと見つめたら、案外、何だこんなもんかって思うよ、きっと」

言いながらさきちゃんはぎゅっと私の手を握った。私と同じ匂いのする、でも私より温度が少し低いさきちゃんの手。私は隣で寝ているさきちゃんを見て、それから橙色の豆電球の灯りを見て、ちいさく頷いた。

いつか気持ちが変わったとしても、今このときの気持ちと向き合ったという事実が私たちを支える日が来る。

大事なのはきもちに嘘をつかないでいること。自分や相手のきもちを乱暴に扱わないこと。

例え世界を変えられなくても、自分だけは自分の本当の心の声を無視しちゃいけない。

これが、さきちゃんが私に教えてくれた強くなる魔法。

 

「つむじくん帰ってきたらアトリエの庭に春の花を植えよう」

さきちゃんはぼんやりと浮かぶ闇の中でそっと言った。

「お庭が明るくなるようなやつ、植えよう。みゃあと、つむじくんと3人で」

ね、と念を押すようにさきちゃんが言って、私は返事の代わりに繋がっている手のひらに力を込めた。

うん、植えよう。それを見ると淋しくても哀しくても、きもちが優しくなるような、私たちのこころにもそっと咲いてくれるような、そんな花を、3人で。

 

次の日のお昼前、ご当地キティちゃんのキーホルダーと、3人分のだるま弁当と、おじいちゃんの畑で採れたというお野菜をいっぱいに抱えたじーが帰ってきた。

すっきりとしたいい顔で、はじめて会ったときみたいにぴかぴかに笑って、蜜色の髪の毛をてっぺんでちょんまげに縛った、私の素敵ならいおん。

「ただいま」

じーが言って、

「おかえり」

私たちは笑った。じーの目に宿る、強い意志の光を見逃さないように、魔法の力が切れないうちに、今の私とじーのきもちを丁寧に見つめようと思った。

じーと、私の間にあるもの。確かに知っていて、見ない振りをしていたもの。

それは移り行く予感のようなもの。私たちの季節は緩やかに、でも確実に変わり始めていた。

 



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