11.肉まん

 

お昼を過ぎた太陽が眠たい光を送っている。

私は駅前のロータリーの植え込みのところに座って、オレンジ色の電車が通り過ぎるのを見ていた。

横浜まで行きたかった。

特に当てがあるわけでもない。

そこにお父さんがいる保障もない。第一4年以上前のことだし。小学校にあがったばかりの子どもがひとりで行ける場所ではないということは重々承知だ。

それでも、私は横浜まで行きたかった。

行きたかった場所は、きっと横浜ではなく、やさしかった記憶のあの町なんだろうけど、とりあえず、いつかのクリスマスと同じ場所に行けば、何かが開けるような気がしていた。

自分が何を望んでいるのか分かっているくせに、見ない振りをしてぼんやりとやり過ごすのはもうたくさんだと思った。でも、どうやったら、望むものが手に入るのか分からない。もしかしたらみんな本当はそうなのかもしれない。簡単に手に入らないからこそ、よけい焦がれるのかもしれない。そういう、願いや希望の塊みたいなもの、ダイアモンドみたいにピカピカ光るそれを、しあわせと呼ぶのかもしれなかった。そんなことをぼんやりと考えていたら、

「みゃあ、」

と良く知る低くて柔らかい声が私の名前を呼んだ。顔をあげるとそこにはじーがいた。

紺と白の縞模様のマフラーに顔を埋めて、じーは困ったような、哀しいような、ほっとしたような顔をしていた。あまりにも時間がたっていたのと、びっくりしたのとで、私は怒っていた気持ちを少し忘れていた。実は、すぐに見つかりたくなかったので、隣町の駅まで来ていた。まさか見つけられるとは思っていなかったのだ。その反面、ほんの少し見つけて欲しい気もしていたので、私としても複雑だった。

「やっと見つけたー」

じーはそう言って大きなため息を一息つくと、力が抜けたようにしゃがみ込んだ。

じーの頭のてっぺんのつむじを見ながら、気持ちがゆるゆるとほどけていくのが分かった。

「探してたの?」

私はそっと言った。

じーは顔をあげて、しっかり私の目を見てとてもやさしい顔で笑った。

 

イブを過ぎた街は何となく平和に見える。切羽詰った切ない感じがしないからだろうか、同じクリスマスソングもじんわりと染みてくるように聞こえてくるから不思議だ。

私たちは、「ヒイラギ飾ろう」が流れる駅前のロータリーであたたかいコーヒーとココアをそれぞれ飲んだ。

あたたかい飲み物は心を解く。

私は、何となくすっきりしたような気になっていた。

さきちゃんが私の行きそうな場所を教えたのかと思って聞いたらじーは「ちがうよ」と否定した。

「じゃあ、何で分かったの?」

「みゃあには言ってなかったけど、俺実はエスパーだったの」

「じー、その冗談おもしろくないよ」

「きびしいね、お前。ちょっとはのってよ」

いつものように言い合うことで、お互いを取り戻した私たちの間にはぎこちない空気は消えていた。私はじーが感じている以上にほっとしていたと思う。私は、子どもの頃から仲直りがとても苦手な子だったのだ。

「みゃあが家を出たあとさゆきちゃんが言ったんだよ。私はあの子の親だから、みゃあの行きそうなところは何となく分かる。お腹の中で繋がってたこともあるんだしね。でも、今はつむじくんが行って。みゃあを見つけて。あの子、きっとつむじくんに探して見つけて欲しいんだと思う、って。だから町中探したよ。お前の行きそうなところ考えて。それで俺だったら家出したときは遠くに行きたくなるなと思って、できるできないに関わらずとりあえず遠いところにいける場所を目指すかもって思ってここまで来た。地元の駅ももちろん行ったよ。お前の足と所持金と、そういうのを合わせて考えて探したんだ」

さすが母親は鋭い。敵わないな、と私は思った。

それからじーは、まっすぐ私の目を見た。きれいに澄んだ目をしていた。その目の前では隠し事も、悪いこともできないような、星の光のようにきれいな目だった。

「ごめん、みゃあ。約束守れなくて」

私はじーの目をまっすぐ受けて、頷いた。きもちがすとん、と収まるのがわかった。

 

私とじーは所詮は血が繋がっていない他人だ。昨日、じーにほんとうは何があったかなんて分からないし、じーも私の行きそうな場所なんて分からなかっただろう。でも、さきちゃんの言うとおり、私はじーに見つけて欲しかった。分からないままで構わないから、こころのアンテナをぴんと立てて、私という電波を感じて欲しかった。身体全部を使って私を探して欲しかった。そうすることで、お互いの距離を埋めたり縮めたり、していくんだと思う。私とじーは、そうすることでしか縮まっていかないんだと、思う。

そして、じーは私を探し出した。自分の力で、自分の足で、私を見つけてくれた。ずっと出し続けていた信号、微かで消え入りそうな、でもぎゅっと強い。「私はここにいる」

 

お互いが許しあったことを確認すると、じーは自分の巻いているマフラーを外して私の首に巻いた。

「いいよ。じーも寒いでしょ」

私が言うと、

「お前が気管支弱いことは知ってます」

とえらそうに笑って言った。最近知った情報のくせに。

「ねぇ、じー」

「ん?」

「ライブは楽しかったの?」

「ライブ?何の?」

「クリスマスライブだよ」

「あぁ!あー、うん。楽しかったよ」

カマをかけてみると、やっぱり目が泳いだ。じーは嘘が下手だ。今考えれば分かることなんだけど、ライブなんてしょっちゅうあるんだからよっぽどのことでない限り、私たちの方を優先させるはずなのだ。「ふーん」と一応頷いていると、横で黙ってコーヒーを飲んでいたじーが自分の頭をわしゃわしゃと掻いた。

「ほんとはさ、」

「うん」

「昨日は病院にいたんだ」

「病院?」

「うん。どうしても、昨日のうちに会っておかなきゃいけない人がいて、その人に会いに行ってた」

だから携帯が通じなかったのか、と私は妙に納得してしまった。じーが会いに行った人というのは、きっとじーにとってとても大事なひとだったんだろう。じーの言い方で分かった。ちょっと遠くを見ながらうんと優しい目をして言った。

「だから昨日は帰れなかった。お前たちも大事だったけど、その人も大事で、どっちが、なんて決められなくて、ただ優先順位的に生死が関わっている人の方を優先してしまったんだ。みゃあに何て言ったら良いのかわからなくて、嘘をついてしまった。ライブで帰れないことなんて今までもあったし、そんな感じで許してもらえるかなぁって、甘かったなぁ。だからみゃあが怒って泣いて、はじめて気が付いたよ。お前は知らないけど、あの後ばっちりさゆきちゃんにも怒られたんだよ。中途半端な嘘は付くな、って。その通りだと思った」

私は黙って聞いていた。じーが自分のことばできちんと話してくれているのも、さきちゃんが私のきもちをわかっていてくれたのも、どっちも嬉しかった。

「みゃあのことを忘れたわけじゃなかったんだよ。でも、本当のことを話すのは怖かったのもある。適当に誤魔化して済むことならそれで済ませてしまえっていうのがあったから、俺の悪い癖だね」

じーはちょっと笑ってそう言った。

「・・・嘘なんか、つかなくてもよかったのに」

ぼそりと私が言うとじーは「ね、」とやさしく言った。それから、もう一度「ごめんね」を言った。

 

 

ちゃんと話し合いをしたので、お腹が減ったと言うとじーが、何か買ってくる、というので待っていた。

しばらくしてじーは、ほかほかとあたたかな湯気をたてるビニール袋を抱えて戻ってきた。

「何?」

私が聞くと満面の笑みで「いいものだよ」とじーが言った。

見るとそこにはほかほかとあたたかな肉まんが2つ入っていた。

私はちょっと感動してしまった。こういう何気ない奇跡のようなタイミングが、ごほうびのように降ってくる瞬間がある。じーは何も知らずににこにことしていて、私は何だか泣きそうになりながら肉まんを受け取った。渡すときにじーが言った、「俺のほうピザまんだから半分ずつ食おうよ」という一言が感動を半減させてしまったけど。

私たちは肉まんとピザまんを半分ずつ食べながら、アトリエを目指した。

肉まんの良い匂いと、マフラーに残るじーの匂いが心をほかほかとあたためた。

「そう言えば、みゃあはクリスマスプレゼント何が欲しい?」

「今肉まん奢ってもらったじゃん。これでいいよ」

「もしかして、俺が金がないと思って遠慮してる?何でも良いから言ってみな。オモチャとか、服とかさぁ」

このタイミングの肉まんはオモチャや服には替えがたいものがあるのに、それを説明するのは長くなりそうだったので黙っているとじーは、私が遠慮していると変な風に勘違いしていた。

「じゃあ、いつかじーに連れて行っって欲しいところがあるから、そこに一緒に行ってよ。今日じゃなくていいよ。いつか」

私が言うと、じーは「何だか良くわかんないけど、いいよ」と言った。

そして、今度こそ何があっても守る、という固い約束を交わして指を絡めた。

「それにしても、クリスマスらしいことひとつもしてないね。俺なんて昨日のごちそうも食べ損ねたし」

じーが拗ねた口調でそう言ったので、私は笑った。

「罰だよ」

「罰かよ」

「でも、じー。忘れてるでしょ?今日は何日だと思ってるの?」

私の言葉にじーは少し考えて、それから何かを思いついたように顔を明るくした。

「25日じゃん」

「ね。それに、クリスマスは今日が本番だよ」

私たちは笑いあって、チョコレートと、お酒と、赤い箱の煙草をどっさり買いに出かけた。

それらを両手に抱え、さきちゃんの待つアトリエに帰るために。