あの頃のおれは、とてもちっぽけで、無力で、

 

君を守る力も、世界を変える力も何も持たないくせに、

 

ただ、君への愛だけは精一杯叫んでいたんだ。

 

捨てられた子猫のように。

 

 

 

 

第1話 

 

 

 

ばあちゃんが入院したので見舞いに行った。

おれはばあちゃん子なので、それ以上にお年寄りにはやさしくするまじめな青少年なので、
せっかくの日曜日を病院で過ごすことくらいわけないのです。ぜんぜん。

めんどくせーというもうひとりのおれの声を無視して、俺は行くぜ。
ばあちゃんが待ってる病院へ。

 

ばあちゃんが入院している病院は都内の割とでかい病院で、ちかくに大きな川があった。

春で、桜が咲いていた。

きもちのよい春風を受けて歩く。足取りは軽く、手に持った果物かごは鉛のように重い。

行く先がばあちゃんの病院じゃなくて、松浦亜弥のような女の子との待ち合わせだったら・・・
そういうちょっと怪しげな想像をしながらおれは歩いた。

春の東京。お茶の水。あぁ、桜がきれいだぜ!

 

 

ばーちゃんの病室は6階にある4人部屋だった。

同じようなじじばばどもが同じような病気で入院している病室。

昼間のテレビは気だるく流れ、

その瞳はテレビの画面を通り越して何か別のものを見ているようなそんな感じがした。

ばあちゃんはしゃっきり起きていて、隣のばーさんと何やら話しこんでいた。

おれに気付くと「来たね、」そう言って笑った。

かわい気のねぇばばぁだ。

「これ、かあちゃんから。」

そう言って果物かごを渡すと、ふん、と鼻を鳴らして一瞥した。

たまには気の付くことするね。そう呟いて、

「裕太、おはぎ食べるかい?」

と聞いた。

「それってさ、彼岸のころの見舞い品じゃねぇの。」

おれが言うと、ばあちゃんはかかかと笑って「ばれたか、」と言った。

この性悪ばーさんめ。

「ばあちゃん、元気じゃん。はやく退院しろよ。病院に迷惑だろ。」

「一日何もしないでごろごろするってのもなかなかないことだからね。この生活に飽きたら退院するよ。」

「うわ、まじ迷惑!信じらんねー。このばばぁ。」

「裕太、退院したら覚えときなよ。」

ばあちゃんとおれはそんな談笑(?)を交わして、その日の見舞は終了した。するはずだった。

帰り際にばーちゃんがおれにカメラを手渡して言った。

「裕太、悪いんだけどね、このカメラで桜を撮ってきてくれないかい?」

「は?」

「桜だよ。あんた頭悪いのかい?」

「や、桜はわかるけど。」

「じゃ、頼んだよ。千鳥ヶ淵と新宿御苑のでいいから。」

「場所指定かよ。」

「いいじゃないか。どうせ暇なんだし。」

ばあちゃんなんかにおれの予定が分かってたまるか。おれにもいろいろあんだよ。

よっぽどそう言おうと思ったけど、これが遺言になってしまったら一生後悔しそうなので黙って聞いた。

「桜の写真なんか何に使うの?」

しぶしぶカメラを受け取って聞くと、

「友達にあげるんだ」という答えが返ってきた。

「誰?」

「撮ってきたら教えてやるよ。」

「なんだよ、ばあちゃん。浮気すんなよ。」

「ばかだね。そんなんじゃぁないよ。あたしはおじいちゃん一筋だよ。」

「じゃぁ誰?」

「だから撮ってきたら紹介してやるっつたろう。つべこべ言わずに撮っておいで。」

意味ありげに笑ってばあちゃんは言った。気持ちわりー。何なんだ、一体。

 

その次の週末、友達のカズヤを誘って千鳥ヶ淵と御苑をまわるおれ。なんてやさしいんだ、おれ。わはは。

何かむなしさが残るな。気にするな。

「ひとにやさしく、地球にやさしく。」

呟きながらシャッターを押すと、

「何だ?それ、」

と隣のカズヤが怪訝な顔をした。

「ん?漆畑裕太のキャッチコピー。」

「いつ裕太が地球にやさしくしたんだよ。ひとにもやさしくないし。」

「何言ってんだ、これはばあちゃんのための写真なんだぞ。」

「その写真を撮るために俺を振り回しているのはどうかとおもう。」

「えー?何だよ。いいじゃん。どうせ暇だろ。」

げ、ばあちゃんと同じこと言っちゃったよ。これが隔世遺伝というやつか。なんてな。

「大体なんで俺だけなの?シンジは誘わなかったの?」

うっとおしい!カズヤはまだそんなことを言っているし。いいじゃん。暇なんだろ。決め付けだけど。

「考えてみろよ。もしカズヤがおれだったらシンジ誘う?」

おれは、親友であるはずのシンジの厭味たっぷりな笑顔を思い浮かべた。あいつは、物事を自分にとって損か得で考えているんだ。まぁ、いいやつなんだけどさ。

「・・・誘わない、かも。」

「だろ。」

おれの心中を察してか、カズヤも納得したようだ。

シンジのことだ。そんなことで電話なんかした日には「いい写真が撮れるよう祈ってるよ。それにしてもせっかくの休みに不毛だね、裕太。」って邪悪に顔をゆがめて言うに違いない。(おれ親友にたいしての解釈ひどくないか?)ま、そんなわけでおれは使命をまっとうしたわけだ。

 

余談だけど後日、シンジにその話をしたら「休みにそんなことしてたの、裕太。不毛だね。」と言われた。おれって友達のことよくわかってるじゃん。

 

 

 

写真ができたので持っていくと、あいにくばあちゃんは寝ていた。出直すのもなんだし、起こすのもあれなので(なんなんだ)病院の屋上で、ばあちゃんが起きるまでの間、暇つぶしをしようと思った。

春はいい天気が多いのでたいへんよろしい。

きもちいいし。

屋上からは病院の近くを流れる川と、散りゆく桜が見えた。

東京タワーもおもちゃのように見えた。

形容するなら「のどか」。緑茶とだんごで一服して見たい風景。

なんていうか、こう、高いところから眼下を見下ろすと声を大にして言いたいセリフがあるなぁ。

そんなことを思っていると不意に後ろの方から声がした。

「やっほーーーーー。」

そう!やっほー、って。

ぎょっとして振り向くと、おれと同じ年くらいの女の子が反対方向でそう叫んでいた。

うわー。

そのままじっと見ていると、彼女はなんとも言えない瞳をして、ひろがる東京の風景を見ていた。

なんとも言えない、

切ないような、慈しむような、

「やっほーーーーー。」

その子が振り向いた。やった!ちょっとかわいい。

「おれもそう言いたいきもちだったの。何か言いたくなる景色だよね。」

そう言うと、彼女は照れたように笑って、

「聞いてたの?」

と言った。

 

 

 

 

 

 

 

それが、おれとなるとの出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

なるは、ばあちゃんと同じ病院に入院しているおれと同じ年の女の子だ。

本当の名前は笹瀬成実。家族や友達からはなると呼ばれている。そんなわけでおれも、なると呼ばせていただくことにした。ていうか、ほとんど強引に決めちゃったんだけどな。

なるは生まれつき身体が弱くて、病院から見える景色以外ほとんど見たことないという。

「花も、鳥も、海も、空も、みんな大好き。でもほとんどが写真でしか知らないの。」

いいにおいのする風の中、病院の屋上でなるはそんなことを言った。

おれはばあちゃんに頼まれた写真を渡して、

「なるとおれが出会った記念にあげるよ。」

俺の知る中で最大に恰好いい顔をして言った。なるは写真を受け取ってすこし考え込んで、

「ゆうたくんって、漆畑裕太っていう?」

いきなりそんなことを言った。

「そうだけど、何で?」

「サッカー部でしょう?」

「う、うん。」

「ポジションはえーーっと、」

言葉を繋ごうとするおれを「待って、言わないで。」と制して、

「ブランチ。」

「・・・ボランチ。」

「そう、ボランチ。」

「あとトマトとピーマンが嫌いでプリンが好きでしょう?」

「プリンはぷっちんプリンな。」

「あとはえーっと、カズヤとシンジっていう名前のお友達いる?」

「いるけど、ちょっと待って。なるってエスパー?それともエイリアン?出会ってすぐこんな展開いやなんだけど、」

おれの言葉になるは可笑しそうに笑って、「そうかもね。」と言った。

こんなのずるいぜ、ちくしょう。

おれが拗ねていると、なるはごめんごめん、と笑った。

「漆畑のおばあちゃんから聞かされていたの。自慢のお孫さんのはなし。改めてはじめまして。漆畑裕太くん。写真を頼んだおばあちゃんの友達は私です。」

そういうオチだったか!!

しばらくしてふたりで病室に戻ると、目を覚ましていたばあちゃんが俺たちを見て、

「なんだ、会っちまったのかい。」

とつまらなそうに言った。

その言葉におれとなるは顔を見合わせて笑った。

 

 

 

 

その日を境に、おれはしょっちゅう病院に行くようになった。

ばあちゃんのお見舞、っていうのはもちろん建前で、

なるに会いに。

当たり前だろ。おれは健全な青少年なんだからしわしわのばあさんより若いかわいい女の子を選ぶっつうの。

「恋を知って、愛に生きる。」

リフティングをしながらそう呟くと、となりのシンジとカズヤが声をそろえて、

「何?それ。」

と言った。ハモんなよ!

「ん?改!漆畑裕太のキャッチコピー。」

「またかよ。」

カズヤは言い、

「そんなコピーじゃ誰もキャッチできないね。」

シンジは言った。わはは。言ってろ。おれは愛に生きてるんだ。

 

練習が終わると都内行きの急行に飛び乗って、君に会いに行く。

面会時間ぎりぎりまで、その日あった楽しいこと、嫌なこと、どうでもいいことを君に話す。

おれのくだらない話を君はお腹を抑えて大笑いして聞いていたね。

そんな日々。

愛に生きるおれの日々。

 

 

 

あの頃、愛に生きていたおれは、

無敵のスーパーマンだった。

無敵で、無知で、無神経で、

君を傷つけていることなんて知らずに。

あの頃のおれにキャッチコピーをつけるとしたら、「恋する愚か者」。

愚かで、幼い、おれ達の恋。

行き着く先を

君だけが知っていた。

 





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