1.

春になると溶けてしまう。

あたしは、ゆきうさぎ。

 





ゆきうさぎ













「せんせい。」

まただ。

2−B、冬野しほこ。名前、覚えてしまった。

ここのところ毎日といってもいい。

彼女は、美術室に日参していた。

「冬野、授業どうした。帰んなさい。」

俺は振り向かないままに言う。彼女の目を見てはいけない。

覗き込むようにして、見つめてくる。

「エー?せんせいに会いに来たのに?」

「休み時間にしてくれ。」

言って、しまった、と感じる。

「休み時間なら、いいの?」

「せんせいそう言った。」

勝利宣言。今のは言葉のあやだ、そう訂正させない強さで、

「お昼休みにくるね。」

そう言い残してばたばたと駆けていく。幼い足音。

俺はコーヒーを淹れるべく立ち上がった。

今の生活を気に入っていた。

美術教師なんて、きままな職業だ。

生徒の進路相談や月に何度かある生活指導を除けば、この部屋は俺の自由に使えたし、

何より公立教師という職業の魅力は安定だ。

好きなときに好きな絵を描くことはできなくなってしまったけど、

其れでもいいと思っていた。

そんなもんだと思っていた。

好きだけで飯は食っていけない。

其れなのに、

彼女は現れた。

俺の生活を脅かすように。

彼女は、

未だ好きだけで生きていける、

そんな若さを持っていた。






 

「せんせーい。」

どんどんとドアをたたく音。

もうこんな時間かよ。

時計の針は12時過ぎをさしていた。

「せんせーい、いないのー?」

ちょうどいい。このまま居ないことにしてしまおう。

鍵をかけておいてよかったと少し前の自分に感謝しつつ、再び夢の世界へ旅立とうとしていた俺を、

がちゃり。

鍵の開く音が襲う。

「・・・っ!冬野!」

「なーんだ、いるじゃない。」

にこにこと笑う彼女は俺の動揺にはお構いなしで。

「鍵!何でお前開けれるんだ?」

聞くと子悪魔のような微笑で、

「合鍵、作っちゃった。」

彼女は目の前に銀色の鍵をぶら下げて見せた。

美術準備室の合鍵なんか作るなよ。

「せんせい、あたしお弁当つくってきたの。」

無視。

「作ってきたんだけど、」

更に無視。こいつは無視するのに限る。

「いっしょに食べよー?」

ひきつった笑顔で俺の頬をつねり、ね?と念を押した。

「わかった、わかった。」

俺の負けだよ。

「よかったー。」

ほっとしたように笑う彼女。へぇ、ずいぶんかわいい顔で笑うんだな、はじめてそう感じた。

弁当の中身はオーソドックスにから揚げと玉子焼き。ポテトサラダ。

「はい、せんせい。あーん。」

「するか、自分で食う。」

狭い美術準備室に立ち込めるコーヒーの香り。(一応弁当の礼に俺が淹れてやった)

「しあわせだなー。」

「ばばくせぇやつだな。」

「ばばぁと住んでるからね。」

おばーちゃんとおじーちゃんと、三毛猫と3人と一匹暮らし、彼女はそう言った。

両親のことは聞けなかった、何となく。

「せんせいは?ひとりぐらし?」

「そーだよ。」

2杯目を淹れるべく立ち上がる。すぐに彼女も「あたしも。」といってくっついてきた。

「ごはんとかどうしてんの?」

こぽこぽと注がれる熱いお湯。俺の紺と、彼女の赤のマグ。

「適当。作ったり、買ったり、食いに行ったり。」

気をつけろよ、と言い、彼女に手渡す。

「ふーん、そっかー。」

あっ、と言い、目を輝かせる彼女。

「あたし、作りに行ってもいよ!」

ばこん、と音がするほど殴ってやる。

「ったぁ〜。」

「あほか。間に合っています。」

え、と彼女の動きが止まる。俺を見上げる。泣きそうなほど透明な瞳。

「せんせい、かのじょいるの?」

泣きそうなほど、透明で。俺は、

「いないよ。」

思わず嘘を言った。

「よかった〜。」

ずるずると腰を落としほっとしたように笑う彼女。途端に俺を罪悪感が襲う。

不思議なことに其れは恋人へではなく、彼女へ。

嘘を、ついてしまったことへの。

「せんせい、」

透明な透明な、水溜りみたいな、瞳。

「あたし、せんせいのこと、すきですよ。」

知ってたけど。

流石に言葉が出てこない。

「すきだから。甘く見ないでね。」

そう言い残して、ばたばたと走り去っていく。

好きだけで、何とかなると思っている若い彼女。

弁当箱、忘れていきやがった。

俺は、彼女の残して言った弁当箱と、2人分のマグを洗いつつ、

彼女の言い残していった言葉のひとつひとつを反芻していた。

せんせいのこと、すきですよ。

あまくみないでね。

好きだけで世界は何ともならないよ。

そう思いつつも、

突然現れた彼女の存在に、振り回されてる俺も、

未だじゅうぶん若いかもしれない。

ひとりごちて、微笑む俺を透明な青が襲った。



空。






美術準備室から見た空は、痛いほど透明で、

其の青さに溺れそうになりながら、

緩やかに時は過ぎていった。

 

 

 

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