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「何考えてるの?」
狭い6畳一間のアパートの小さなシングルベットの中。恋人は身体を寄せて聞いてきた。
「ねぇ、何考えてるの?」
もういちど。
「うん?」
俺は目を閉じて、眠いフリをして、恋人の身体を抱き寄せる。
甘い、柔らかな香り。
女の香り。
「何も。」
そう言って、緩やかに波打つ恋人の髪に口付ける。
なにも。
そう、なにも。
せんせいのこと、すきですよ。
透明な空を映した其の瞳に、気付かない振りをして。
俺はもういちど恋人を抱き寄せる。
 
 
「せんせい。お昼ごはん食べよう?」
彼女とのランチタイムはすでに俺の容認するところとなっていた。
「昼休み以外、来ないこと。その代わり、昼休みだけは相手してやる。」
俺が出した条件を彼女は忠実に守っていた。
美術準備室の赤いマグはすでに彼女専用となってしまい、
俺の分の弁当を作ってきてくれる彼女へ、代わりにコーヒーを淹れてやるのが日課となっていた。
「あたし専用。」
そう言って鼻の上にしわを寄せて笑った。
「犬ころみたいだな。」
俺が言うと、「えぇ?ドーブツ?」と心外そうに言った。
実際彼女の俺への思いはインプリンティングだと思っていた。
例の告白も、彼女が何も聞いてこないのをいいことに、其の話題には触れないようにしていた。
怖かった。
そうだ、其のとき、俺は確かに怖かった。
口に出して、形にしてはっきりしてしまわないように。
曖昧なままを好んだ。
其の事がどんなに君を不安にさせているかなんて知らずに。
狡かったんだ。
大人だったから。
俺は、君よりすこしだけ。
大人だったから。
 
「せんせい。」
いつものように赤いマグを両手で抱えるようにして持ち、彼女は聞いてきた。
「ねぇせんせい。もし、もしもだよ?
明日で世界が終わるって言われたら、何したい?」
まるで何かの賭けをしているかのように、真剣に。
「は?誰に言われるんだ?、」
・・・神さまとか?」
「くっだらないねぇ。」
一笑に付す。今時の女子高生はドリーマーだな。
「もうっ、真剣に聞いたのに。」
「何だよ、それ。流行ってるのか?何かの心理ゲーム?」
ううん、彼女は首を振る。
「何となくだよ。世紀末、過ぎちゃったけど。」
暫く真剣に考えてみる。でも、そんなこと考えられなくて、
「わかんねぇよ。死ぬほどうまいもん食ってめちゃめちゃいい女とセックスするかも。」
と笑って言ってやった。すっげぇ親父な回答だけどな。
「ばかじゃん?せんせいのエロ。」
口ではそう言いつつもすげー赤くなってるんですけど。
こいつ、苛め甲斐あるかも。またしても親父な俺を無視して彼女はちょっと拗ねている。
「なに?そうなったらやってあげようか。」
冗談だった。
俺に好意を寄せている女の子に対する、質の悪い、単なる冗談。
でも彼女は、物凄い勢いで俺を睨んで、
「そうゆうこと、言う?」
泣き出しそうな顔で、
「せんせい、そういうこと、あたしに冗談でも言わないで。」
大きな瞳に涙を貯めて、あぁ、また凄く透明。
・・・本気にしちゃうから。」
俯いて呟く。悔しそうに歪む横顔。
やばい。
まじ、やばい。
キスしたくなった。
でも、俺は大人なので、一応理性はあるので。
「そうだな。そういうことは、好きな人としなさい。」
そう、諭した。
駄目押しに頭をぽんぽんと叩く。
「っから、だから。」
「すきなひとはせんせいだって言ってるのに。」
アマクミナイデ。
痛い、瞳。
見つめないでくれ。
俺を、
そんな瞳で。
あぁ、泣かせてしまった。
後悔するじゃないか。
ほんとうに悔しそうになく彼女を、抱けない俺を、無能だと思った。
だけど、ごめん。
「そういう時期は誰にでもあるから。」
一般的な台詞で、俺は逃げた。
怖かった
君のまっすぐな瞳に答える勇気が、俺にはなかった。
「そんなふうにせんせいも言うんだね。」
大人の人みたいだよ。
失意の、落胆の声を落として。
いつもとちがう、静かに、この部屋を出た、
君。
透明な瞳に影を落として。
俺は、
気持ちだけではどうしようもない、
つまんない大人になっちまった。
自分の気持ちに正直に生きたところで、其処は茨道で。
踏み込む勇気は俺にはなかったし、其処まで、彼女のことを好きではなかったんだ。
少なくとも、其の時までは。
 

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