春の夜

 

花さんは朝が弱い。
起きてくるのは大抵昼に近い時間だし、ほとんどの作家がそうであるように、「夜のほうが仕事がはかどる」のだそうだ。
深夜、眠る俺とカツオの横でパソコンのキーを叩く音が屋根を打つ雨だれのように聞こえてくるのはとても心地の良いことだ。キーは淀みなく打たれることもあるし、迷いながら少しずつ打たれることもある。幾つもの夜を、俺はその音とともに越えてきた。時々、深夜映画を観ながら、朝まで付き合う事がある。灯りをすべて消して、青白い光の中で俺たちは、不健康なこどものようだ。
 
日曜は良く晴れた。洗濯日和だ。
いつの間にか分担している家事の中で、俺がいちばん好きなのが洗濯だった。ごうごうと音をたてて回る洗濯機を眺める。洗濯の良いところは、工程がはっきりしていることだ。一回分の洗剤と柔軟材を入れ、俺はボタンを押す。多分、起きているだろう花さんはベットの中で俺の立てる音を聞いているのだろう。胎児のように、あるいは猫のように身を小さく丸めて眠る彼女。
3日分の洗濯物を、物干し竿に順々に干す。「ぐるんぱのようちえん」みたいに。
「ぐるんぱのようちえん」は花さんの好きな絵本のひとつだ。
花さんは作家のくせに、一般書や純文学はあまり読まない。そのかわり、子供が読むような絵本や児童書、インディーズのコラムや、料理本、詩集なんかをよく読む。
例えばキッチンで、風呂場で、縁側で、
唐突に花さんの読書は始まる。
「環くん、」
ベットの中から名前を呼ばれて振り向く。
「・・・おはよう」
「おはよう」
言葉を返すとゆっくり微笑む。一緒に寝ていたらしいカツオがもそもそと布団の中から這い出してきた。
「眩しいね。」
「良い天気だよ。洗濯日和。」
晴れた日曜はどうしてこんなにも平和なんだろう。すべてを洗うような青さの前で、俺たちは成す術もなくなってしまうというのに。
「環くん、」
花さんがもういちど、俺の名を呼ぶ。優しい、慈しみに満ちた、花さんの声。
俺はほんとうにこのひとの声が好きだ。
彼女が言葉を続けるより先に、俺は言葉を重ねる。
「コーヒー飲む?」
ベットから半分起き上がっていた花さんがにっこり笑って「飲む。」と言うのを聞き届けて、薬缶を火にかけるべく、キッチンへ向かう。
洗濯物は晴れた空の下で、よく乾くだろう。
 
自然に分担された家事の領域はお互い犯さないことになっている。
俺が洗濯、花さんは掃除。料理は半分半分で、お菓子はたまに花さんが作っている。
それでも必ずふたりで行うのが夕飯の買い物だ。俺たちの住む街には商店街があって、どちらかの休日(花さんにはこれといった休日がないので専ら俺の休日)には何日か分の買い物をまとめてする。
手を繋いで、八百屋や、肉屋や、魚屋が並ぶその商店街をふたりで回る。
今日も、もちろんそうした。
俺が洗濯物を干す間、花さんが音読した、旬の料理とその調理法、のレシピが頭に入っている。
「お魚が食べたいね。」
花さんは言い、俺は頷いた。
鯖とか、きびなごとか秋刀魚とか、ぴかぴか光るやつが良い。
スーパーで、俺たちはじゃが芋と、長葱と、糸三つ葉、それに檸檬を買った。適当に籠に放り込む。ウィンナー、お徳用キスチョコ、菓子パン、グレープフルーツ、牛乳、それから胡麻鯖と大葉を買った。ぴかぴか光る、胡麻鯖。
帰り道、春のぼんやりとした夕暮れにあたたかな風が額を撫でる、そんな平和な春の休日。
月を見ながら花さんは、中原中也の詩を諳んじた。
サーカス、という名のその詩は確か小学校か中学校かどちらかの教科書に載っていたはずだ。
妙に間延びした声で、
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。
と、花さんは言う。
「何かそんな感じ。今日の夜。」
「そんな感じ?」
「うん。」
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。
そう言われてみればそんな感じだ。遠く、夕暮れた空の端に引っかかっている猫の目の月。
俺たちは帰る。同じ家へ。それはとても安心なことだ。
繋いだ掌があたたかく、春の陽だまりのような俺たちの温度。
春の日は安全で、安心で、それでいてどこか気狂い染みている。
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。
おまじないのように、花さんが呟いた。