死と桜

 

私は桜の花が好きだ。

そう言うと紺野さんは意外な顔をした。

「そうなんだ、花ちゃんはもっとかわいらしい花が好きなんだと思ってたよ。」

花ちゃん、

紺野さんは私のことをそう呼ぶ。

紺野さんが予約してくれたカジュアルなフレンチの店からは夜にぼんやりと浮かぶ桜の花が見える。花見の時期は予約で満席になるらしく、新規の客は入店を断られていた。

「かわいらしい花?」

「うん。チューリップとか、カスミ草とかさ。」

今野さんはにっこり笑って言った。赤ワインのグラスを持つ指に光るごついシルバーの指輪は私が贈ったものだ。

「桜って、何だか怖い感じがするだろう。」

怖い、そうかもしれない。私はしばらく考える。

「私は桜の野蛮なところが好きよ。」

紺野さんは、不思議な顔をして「そう。」と言った。

桜は野蛮な、生命力に満ちた花だと思う。それでいて死を連想する危うさがあると思う。

私は白ワインを飲みながらそんなことを考えていた。「今日はお花見なの、」今朝環くんに伝えたとき、環くんは「俺も。」と言った。

場所を聞くと中野だった。

「哲学堂から中野通りを歩くんだ。途中神社があるからそこで夜桜見物。カセットコンロ借りていい?」

洗濯物を干しながら、環くんはそんなことを言った。空はいいお天気になりそうな、そんな予感のする青を称えていて、柔らかい風が吹いていた。カツオは私と同じ、朝寝坊で足元に丸まっていた。ベットの中から見る環くんの背中がずいぶんと広いことに驚いた。

「カセットコンロ、何に使うの?」

「鍋だよ。やみ鍋するの。春とはいえ夜は冷えるからあったかいものの方がいいと思って。」

「そう、」

「うん。」

「いいなぁ。」

「何だよ、花さんも花見だろ。」

「そうだけど、何か羨ましい。」

光の中で振り向いて「変なの」と笑った環くんの顔がずいぶんと遠い場所にあるような、そんな気がする。

 

「花ちゃん?」

例えば紺野さんは、私を、桜の木の下に青いシートを敷いて、鍋と熱燗でする花見には決して誘わないだろうと思う。

この夜の中、私と環くんのいる場所は果てしなく遠い気がした。

そして、どうしようもなく環くんに会いたくなった。

「ごめんなさい。今日はこれで失礼してもいいですか?」

返事をする間を与えないようににっこり笑ってひとり分の料金を置いて席を立つ。

紺野さんは柔らかく笑って「また連絡する。」と言った。その言葉が私を哀しくさせることを、彼はちゃんと知っている。

 

環くんに電話をするとちょうど花見が終わってこれから帰るところだと言った。

「すぐに行くからそのままそこで待っててくれる?」

それだけ言うと電話を切って、タクシーに乗った。途中、コンビニに寄ってワンカップと適当なつまみを買った。

環くんはきちんとそこにいて、タクシーで来た私を見て、「何だよ。」と笑った。

私は自分でもびっくりするくらいほっとした。

「変な表現だけど、」

「ん?」

「100年ぶりに環くんに会ったような気がする。」

「ほんとうに変だよ。」

「うん。」

私たちはそう言って、当たり前のように手を繋いだ。神社の桜祭りは地元の小規模なお祭りらしく、いくつかの屋台が出ていた。私たちはそこで、塩味の焼き鳥を買った。ワンカップを飲みながら焼き鳥を食べて、散り始めた桜を見て歩いた。

焼き鳥は塩の量が多くて辛かった。環くんとふたり、適当な味だと文句を言いつつ残さず食べる。

ピンクのぼんぼりが夢のようにずらりと並んで、私は黄泉へと誘われているような錯覚に陥る。

春の夜。

「環くん、」

「うん?」

「もし私が死んだら、やっぱり死体は桜の木の下に埋めて。」

「梶井基次郎?」

「うん。」

そのまま手を繋いで同じ家へと帰る。

私たちのすぐ横を、散ってしまった桜の花びらを舞い上げて白い車が通り過ぎた。