その範囲で出来ること




 短期のアルバイトの帰り道、携帯が鳴ったので、取ると太郎ちゃんからだった。「今どこ?」と唐突に聞いてきたので、「虎ノ門」と答えると、「俺銀座の辺にいるから出てこない?飲もうよ」と飲みの誘いが入った。正直、短期のアルバイトでくたくただったけれど、むしゃくしゃしていたこともあり、誘いに乗る。太郎ちゃんと会うのは半月ぶりくらいだった。何しろ、この間の鍋にやつは来なかったので。

 太郎ちゃんは銀座のプランタンの前で待っていた。私を見つけると笑って手を振った。

「久しぶり」「うん」「何食べようか?」「私焼き物系の気分」そういう会話を交わした後、私たちは串焼き屋さんを見つけてそこに入った。銀座らしくちょっと格調の高そうなお店だ。飲みすぎるとアレなので、コースを頼んだ。いろんなお塩が置いてあってわくわくする。私は串焼きも塩派。太郎ちゃんは塩とタレと半々。

「お前、虎ノ門で何してたの」

生ビールの中ジョッキで乾杯したあと、太郎ちゃんが聞いた。

「え?バイト」

「バイト?何の?ていうか早く就職しろよ」

「うるさいなぁ。分かってるよ!」

アルバイトはホテルの裏方で正直とてもしんどかった。身体より、こころが。時給が高かったのでやってみたが、自分には合わないことを思い知らされただけだった。

「何だかやったことない仕事って大変。自分より年下の子に怒られたり、人によって指示することが違ったり。すごく神経使った気がする」

言いながら、私はホテルの裏方の雑多な感じを思い出していた。煙草のにおいと、業務用の冷蔵庫のうなる音。その淋しい感じ。肉体労働なのでみんなが疲れているのと、私のようなアルバイトの子ばかり(長いか短いかの違いなだけ)なので、何となく今を乗り切るために働いているような感じがした。

「それが仕事じゃん。お前甘いねー」

いつになく太郎ちゃんの言葉が厳しいので、私は少しむっとした。でも、言っていることは間違っていないので、反論できない。なので、黙って串焼きに専念することにした。

 悔しい。こんなことなら帰って寝たほうがましだった・・・

 私が黙って串焼き(トマトの串、甘くておいしい)を食べているので、気を使って太郎ちゃんが「悪い、怒った?」と聞く。太郎ちゃんは意地悪になりきれないお人よしだ。

「怒ってない。反省してた」

「ごめん。言い方きつかったな」

「本当のことだもん。言われてぐさりと来るのはたいてい本当のことだよ」

半分嘘だけど、言いながらムカついていた気持ちもするするとどこかへ行ってしまった。まぁ、自分で言っただけあって本当のことだし。言われてもっともだし。

「そっか、」

「うん」

言いながら串焼きを食べた。さっきよりぐっとおいしくなっている気がする。

「辞めてみて初めて分かったけど、私意外とあの職場を愛していたのかも」

そう言うと太郎ちゃんは笑った。じゃあ、何で辞めたの、と聞かないところが良かった。ただ、「そういうことってあるよな」としみじみ呟いた。

 そういうことってある。そこに居るときには気が付かなくて失くして初めて気付くもの。その大事さ。仕事は誰にでもできるような事務仕事だったけれど、そこにいるメンバーが好きだった。もちろん、こーじくんも含めて。

「俺もさ、」

「ん?」

「俺も別れた」

誰と、とは聞かなかった。その代わり、黙ってお酒を注ぎ足した。寒いところの、おいしいお酒。

「お互い大事にしているものが違いすぎたんだよな。こうすることがいちばん良いことのような気がして。ごめんな、さっきの八つ当たりもあった」

私は、太郎ちゃんがどんなに彼女を大事にしていたか知っている。飲み会の日には必ず遅くなることを告げ、ささやかなお土産を持って帰っていた。彼女の話をするときは、目尻が下がった。私はそれを見ていた。でも、それは私が太郎ちゃんの友だちであったからであって、ふたりの間に何があったかなんて本当のところは分からない。恋愛なんて、当事者同士にしか分からない。

 ただ、嫌いで別れたのではないということだけ分かった。いっそ嫌いになれた方が楽なのに、恋愛って難しい。その気持ちは痛いほど、分かる。

「そういうことってあるよね」

私は言った。

「まぁ、そんなことばっかりだけど、こうして酒に付き合ってくれる友だちもいるしな」

「うん」

「悩んだところでどうしようもねぇしな」

「うん」

発想がこの間の私と同じで笑えた。

「飲みますか?」

「飲みましょう」

そう言ってお互いの杯に酒を注ぎあった。不毛な気もするけれど、今できることのすべてだと思った。