3.マチルダ


ところでさきちゃんが拾ってくる人はいつもそうなのだけど、夢があった。

じーももちろん例外ではなくて、黒い皮のギターケースに包まれたギターが、じーの宝物で、財産だった。

「見せて。」と言ったら喜んで見せてくれた。スカイブルーというのか、ちょうどトルコ石のような色をしていた。「かわいいね。」と褒めると、「でしょう?」と満足そうに笑った。「名前を付けてもいい?」と聞くと「いいよ。」と言うので、一生懸命考えた。何となく女の人の名前がいいような気がした。外国の女のひと。

考え付かないので、さきちゃんも巻き込んでふたりで考えた。

結局さきちゃんの考えた『マチルダ』が良いということになり、じーのギターの名前はマチルダになった。また性懲りもなく、映画『レオン』より抜粋だ。

でもあの流線型、トルコ石の青、鈍く光る弦。

『マチルダ』という感じなのだ。

今でも『マチルダ』と聞くとナタリー演じる気の強いおかっぱの女の子ではなくて、無機質で孤独な、じーのギターの方を思い出す。

今でも。

 

「ちょっと弾いて見せてよ。」

そうお願いすると、いつだって嬉しそうに、やや自慢気に弾いて見せてくれた。じーとマチルダ。

じーは私でも知っているようなビートルズを弾いてくれた。

何ていうか、秋とビートルズという組み合わせはちょっといい。

日曜日で、ちょうどみんなが家にいた。

空は良く晴れて青くて、秋らしくうんと高かった。庭の落ち葉がものすごかった。

私とじーとジャン・レノは縁側に居て、さきちゃんは昼ごはんの支度をしていた。

じーの擦れたような透明な歌声が空に溶けていく。

私は懐かしいような、淋しいような、やさしいような、そのどれでもないような気持ちになる。そしてちょっと泣きそうになった。

歌が終わると拍手をした。じーってすごい、と思った。

「すごい、すごい!素敵ね!じーって天才なんじゃない?」

べらぼうに褒めたので、じーはものすごく照れた。

「…また!そんなばかな…」

「ううん。私、ちょっとこの人すごいかも、って思ったもん!」

「曲が良いんだよ。目を覚ませ!」

「そんなことないよ。ね?さきちゃん、」

同意を求めるようにさきちゃんに言うと生半可な返事が返ってきた。

だめだ、こりゃ。

「それに、何だか秋とビートルズの組み合わせも素敵。」

「お前、いいセンスしてるわ、子どものくせに。」

「ほんとう?」

「ほんとう。」

じーにセンスを褒められると嬉しい。私はにっこり笑った。

じーはもう一度さっきの曲を弾いてくれた。今度は私もいっしょに歌った。でたらめの英語で。

途中、じーがハモってくれたので、私は何だか歌が上手くなったように感じた。

さきちゃんが「ごはんができたよー。」と呼んだので、ふたりだけのステージはおしまいにしてごはんに行った。

ごはんはお好み焼きで、じーは3枚も食べた。

食べすぎだと思う。

 

 

ある夜3人でまったりしているときに、また音楽の話になった。

さきちゃんはアマレットをウォッカで割ったお酒(ゴッドファーザーというらしい)を飲んでいて、じーはカルーアミルク、私はココアを飲んでいた。

じーはからいお酒が飲めない。(さきちゃんがそう言っていた)

それにすぐに酔っ払う。なので、カルーアの量はとてもわずか。

お酒をつくるのはさきちゃんで、アトリエの中でいちばんおいしくお茶を淹れるのもさきちゃん。

ちなみに私のココアもさきちゃんが淹れる。じーのココアは薄いか苦いかのどちらかになってしまうので。

夕飯が終わってそれぞれ好きな飲み物を作ってまったりする時間、俗に言う、団欒の時間が私は好きで、ごはんが終わってもダラダラしていることが多い。

私たちはいろんな話をする。

学校のこととか、仕事のこととか、今日のこととか、明日のこととか。

その中で、じーの夢の話になった。

「俺は歌で食っていきたいんだ。」

当たり前のようにじーが宣言して、私はするりと「知ってるよ。」と言った。

ギターを持っている以上、その夢は妥当であるような気がした。さきちゃんは優しい顔でアマレットを啜っていた。

「それで、俺には目的があるんだ。」

「目的?」

「うん。有名になる目的。」

「俺には6つ下の弟がいるらしくて、らしくてっていうのは俺は生まれてこのかた一緒に住んだことがないの。

弟が生まれてからすぐに母親が家を出てってさ、それからずっと親父と父方の祖父母と暮らしていたから。

俺が中2のときに親父が出て行ってしばらくは祖父母と住んでいたんだけど、こっちに来る前にばーちゃんが死んでさ、そのときに弟がいるってことが分かったんだ。」

たかだかあのくらいのカルーアで酔っ払ったのかと思うほど、じーはよくしゃべった。普段あまりしゃべらないくせに、きっかけを与えるととめどなくしゃべるので、おもしろかった。

きっかけっていうのは酒なんだけどさ。

あまりにもじーの人生が波乱万丈なので、思わずさきちゃんを見た。さきちゃんはふんわりと笑っていた。あとあとつまみを作りにいったさきちゃんに、

「あの話ほんとう?」と聞くと、「ほんとうらしいよ。私に最初あったときもそんな話してた。」と言った。つまみはチーズとクラッカー、そしてひとくちチョコ。私にはマシュマロとうさぎりんご。

「何だかうそみたいな話だね。」

「だよね。でもどっちでもいいんだ。そんな話で同情を引こうとするようなやつの歌が売れるとは思えないし、とりあえず、つむじくんの歌や生きる姿勢は私は好きだから。」

さきちゃんはそんな風に言った。私たちは、たくさんの人と接してきて、それなりにいい思いも嫌な思いもしてきた。もちろん、言葉の100パーセントを信じられないことは沢山あったけれど、言葉に含まれている、目に見えないものを私たちは信じた。そのひとの魂の色というか、生き方、考え方のようなもの。どんなにいいことを言っていても、そういうのは必ず表に出てくる。姿を変えて、滲み出る。私たちは、経験から人を見る目だけは養っていた。そして、私の8年間の経験の中からもじーの言葉に嘘は感じられなかった。甘えはあったとしても。

「めずらしいね。」

「うん?」

「さきちゃん、男の人はあんまり信用しないのに。」

「みゃあは?つむじくんのこと信用できない?」

「ううん。」

「でしょう。私も。つむじくんに関してはね。あんなにうさんくさいやつなのにね。」

さきちゃんはかわいい顔で、そんなことを言った。私はうさんくさい、という言葉があまりにもじーにぴったりだと思ったので、笑った。

どうやら、じーは弟を探したくて有名になりたいらしい。

「探して、そしてどうするの?」

「俺が元気で、しあわせに生きていることを伝えたいんだ。ただ、それだけ。だからお前もいろいろあるけど、がんばれよって。」

「それだけ?」

「うん。それだけ。」

「他に何かないの?一緒に住もう、とか。これからは兄弟一緒だ、とか。」

「そもそも、母親が俺のこと話しているかどうか分からないし、話してたとしてもめちゃくちゃ悪く言われてるかもしれないじゃん。要は自己満足だよ。俺はここにいる、っていう。」

「なるほど。」

「うん。」

「そういうの、ちょっと分かる気がする。」

「そういうの?」

「俺はここにいる、ってやつ。」

「ああ、」

「私もそう思うとき、ある。」

私とじーがしゃべっている間になぜかさきちゃんが眠ってしまっていた。ジャン・レノまで隣で丸くなって。

「さきちゃん寝ちゃったよ。」

「いつも思うけど、さゆきちゃんってしあわせそうに眠るよね。」

「酒とコーヒーとチョコレートがあればさきちゃんはしあわせだよ。」

「すげぇ、安上がり。」

「ね、」

「ね。」

さきちゃんを起こさないように小さな声で会話した。

じーが少しだけカルーアミルクを飲ませてくれた。甘くて、ちょっぴり苦くて「コーヒー牛乳じゃん。」と言いつつも眠くなってしまった。

じーは私とさきちゃんを一人ずつお姫様抱っこでベッドまで運んでくれた。

ふわふわしていい気持ちの中、私が「ここにいる」と伝えたい、世界でたった一人の人のことを考えた。その人もじーみたいに背が高くて、眠ってしまったらベッドまで運んでくれるような力強い腕を持っていると良いのに。

あったかくて、目が合うと私の身長まで身をかがめて、にっこり笑ってくれたら良いのに。

そういう人だったら良いのに。