2.

らんくんは相当変なひとだと思う。

あれから考えてみたけど、変じゃなければあたしとなんか喋ったりしない。

「なんか」

あたしはよくこの言葉を使う。

「あたしなんか。」

その言葉の多用にはまぁ、結構な推移とそれ相応の理由があるんだけど。

とにかく気が付くとよくこの言葉を使っていたと思う。

 

「どーしてあたしなんかと喋ったりするの?」

帰り道。振り返って犬ころのようにあたしの後ろをぶらぶら付いてくるらんくんに聞く。

ひなたで光が踊っている。きれい。

らんくんの髪も光っている。ひよこみたいな黄色がくしゃくしゃに揺れて。きれい。

「どーしてって?」

らんくんは莫迦みたいにあたしの質問を繰り返す。

「だから、」

説明するのも虚しい気がして言葉を切った。

大体なんでくっついてくるのか。

屋上での奇妙な会話のあと、HRをフケて帰ろうとするあたしに「じゃー俺もー。」と言って、付いてきた。かなり不気味。

「らんくん、うちこっちなの?」

質問を変える。

「ううんー。」

「じゃぁ何?何でこっちくんの?」

半ば本気で苛苛して、呆れたように聞く。

「んー、散歩?」

また疑問形かよ。あたしはもういいやという風に大袈裟に溜息をついた。らんくんは何処吹く風でにこにこしている。

あー、何か、もう、いいや。

「ミドリ!!

諦めて再び前を向いて歩き出したあたしをらんくんが大声で呼ぶ。何か発見したらしい。

振り向くと手招きをしている。満面の笑みで。

彼の目の前には焼き芋屋。おいおい、男子学生が芋ごときで目の色変えるなよ。

「何?食べたいの?」

ぶんぶんと音がしそうなくらい縦に大きく首を振る。

「どうぞ。ゆっくりお召し上がりください。」

ただしひとりでな!

あたしはくるりと踵を返すとずんずんと前に向かって歩き出した。

「ミードーリー。」

あたしを呼ぶ声が後ろで聞こえるけど、知るか!

ずんずん歩くと足元の落ち葉ががしゃがしゃ言った。

200メートル先辺りで振り返るとやつは芋屋のおっちゃんと何やら談笑していた。

手にはひとりで食えるのかよ〜と言うほどの量の芋。あたしはふと、らんくんって騙されやすそうだよな、と言う感想を抱いた。

でもわかんない。

人間なんてわかんない。

いい人そうに見えて心の中なんて何考えているか分からないわけだし、簡単に信用して泣きを見るのだけはごめんなのだ。

第一、あの学校にいる以上、あたしのことは知っている筈だ。

さっきは笑顔にほだされてしまったけど簡単に信用してはいけない。

いつか、らんくんだって。

きっとあたしなんかとは口も聞かなくなる筈。

そう、あたしなんかとは。

 

一年の頃はまだあたしは普通だった。

普通に友達もいたし、好きな子だっていた。

当時好きだった子はすごく声の大きい、笑うとお日様みたいな男の子だった。

ただ、それだけだった。

ただ恋をしただけだった。

あたしは目が大きくて気持ち悪いと言われて振られた。

泣いたけど、しょうがないとも思った。

慰めてくれる友達だっていたし、

恋している間は楽しかったし、

ちっちゃな胸のドキドキも、はじめての告白も、いい思い出にしようと思った。

 

「ただいまー。」

誰もいないアパートに響く、あたしの声。

うちは母子家庭だ。とーさんはあたしがうんと小さい頃に女の人を作ってでていったらしい。

かーさんは看護婦で、女手ひとつであたしをこの年まで育ててくれた。愚痴も言わず、

新しい恋もせず、あたしが大人になるまでは、って。

今日はきっと夜勤だと思う。夜勤のときは簡単だけど夕飯を作って出て行くから。

台所のテーブルの上の煮しめとコロッケ(多分お惣菜)を見てそう思った。

かーさんが夜勤じゃないときは大抵あたしが作るようにしている。

学校から帰って、買い物行って、かーさんを待ちながら夕飯を作って、

仕事から帰ってきたかーさんとそれを食べて、お風呂に入って寝る。

それが変わらない、あたしの日常。

最近では交わす言葉も減ったけど、あたしとかーさんはそれなりに仲のいい親子だと思う。

まわりの17歳の女の子と母親の関係がどうなのかは具体的には知らないけど、

17年間、必死であたしを育ててきたかーさんに反抗する間なんてなかった。

かーさんに心配かけたくなかった。

いい子でいたかった。

ただ、それだけ。


つまんないテレビを観ながら煮しめとコロッケを食べて、茶碗を洗いつつお風呂にお湯を張った。

ぬるめのお湯に40分くらい浸かって、あがってから牛乳を飲んだ。

テレビでは相変わらずくだらない恋愛ドラマをやっていて、

こんなのが人気あるのかーとばかばかしいきもち満開になった。

いつからだろう。

あたしはこの手の類のドラマに感情移入できなくなっていた。

昔は好きだったんだ。中学の頃はそれこそ毎日のように似たようなドラマを観ては翌日友達と盛り上がっていた。好きな芸能人もいっぱいいた。好きな歌も、好きな漫画も、おんなじように夢も、やりたいことも、未来に対する希望と憧れも。

でも今は違う。

ドラマも漫画も所詮はツクリモノで、現実にこういうことは起こりっこない。

そう思ってる。

 

 



「あいつ、4組の青木。超キモイんだよ。俺のこと好きだって告ってきたの。」

「まじ、うぜ〜」

「だってあいつ、あの顔で!」

「キモ〜」

 




好きだった子は、人気者だったから。

学年で1、2を争うほどの人気者だったから。

すごくもてたし。

女の子はほとんど彼のファンで、

サッカー部のエースだった彼は男の子からも慕われていて、

ほとんど神様みたいなひとだった。

そんなひとから嫌われる子は、きっとよっぽどひどいに違いない、ってね。

あとは簡単だった。

友達だと思っていた子は手のひらを返したように冷たくなり、

あたし自身でさえ知らないような子から平気で嫌がらせを受けた。

学校なんて小さな国家だ。

王様が排除してもいいとみなした人物はどういう風に扱っても許されると思っている。

言葉を交わしてくれていた数少ない友達も、あたしの方から切ることにした。

「あたしとは喋んない方がいいよ。」

だってそうでしょう。葛藤している友人の心理は手に取るようにわかったし、正直もう人と関わるのにうんざりしていた。先生でさえも、必要以上にあたしには関わらなくなった。教師だって人間だ。

高校という世界においては実はいちばん強いのは生徒だったりするのだから。

もう、どうでもよかった。

涙は何の役にも立たない。

自分でさえ「あたしなんかが好きになってはいけない人だったんだ」、そう思っていた。

あのひとがあんなに嫌うんだもの、きっとあたしはほんとうに醜い人間なんだ、って。

だから、決めた。

あたしはあたしを滅亡させる。

あたしがこの世に生を受けたのと同じ日に。

あと、4ヶ月と20日の辛抱。

その日、

はじめてあたしはあたしのことを許す事ができそうな気がする。

だから、それまでの辛抱。






 

 

一日が終わるまでの時間、あたしは広いとは言えないベランダに出て、

その日のことを想像することにしている。

そして、気持ちを落ち着けてから眠りに付く。

そうじゃないと壊れてしまいそうになるから。

今すぐにでも自分を滅亡させたい衝動に駆られるから。

だから。

見上げた夜空には数少ない星と、何もぶら下がっていないたこ足ハンガーが映る。

ぼんやりと滲んで、二重に重なって見える、たこ足。

ひゅうひゅうと頬に当たる風は冷たいし、星は少ないし、たこ足は滲んでどんどん見えなくなるしで、

あぁ、もう部屋に入ろう、そして牛乳を温めて砂糖とバニラエッセンスを少し入れて飲んで、眠ろう、そうしよう、そう、思ったときだった。

「ミドリ。」

ミドリ。

一瞬利き間違えかと思ったほど小さな声で、でも確かに知っているその声は、もう一度あたしの名を呼んだ。

「ミドリ!」

真下の道に月と同じ色した髪。らんくん。

「・・・らんくん。」

何やってるの。このひと。っていうかどうしてうち知ってるの。

沢山のはてなが浮かんだけど、

「こんばんはー!」

らんくんの笑った顔があまりにもまっさらで、もうそんなことどうでもいい気がした。

何で、とか。

どうして、とか。

その代わりに、

「うん、いい月夜だね!」

と言った。らんくんは、

「ほんとな!」

そう言い、「ちょっと出てきてよ。」って手招きをした。

あたしはパジャマの上にコートを羽織って外に出ることにした。

アパートの階段の下でらんくんは待っていて、あたしが降りてくると、

「はいっ!」

とにこにこ笑って新聞紙の塊を差し出した。

「何?」

その塊は何だか温かくていい匂いもして、

「あ、」

「焼き芋?」

それはあの時らんくんが大量に買わされていたに違いない焼き芋だった。

丁寧に温め直ししてくれた模様。

「うん。すげーうまいよ!ミドリ先帰っちゃって食べなかったでしょ。」

だから届けに来た、とらんくんは言った。

「俺の分も持ってきたから、食べよう?」

がさごそと音を立てて新聞紙を開けると中から白い湯気をおびた焼き芋が出てきた。アパートの階段に腰掛けて焼き芋を食べる男女2人。端から見たらかなり怪しいことこの上ない光景だったけど、らんくんの持ってきた芋はほんとうにおいしくてそれがかなり変な光景であるということをしばし忘れた。

「おいしいね。」

あたしは言った。

「でしょう?だからミドリにどーーーーーーーーーしても!食べさせたくて。」

らんくんは力強くそう言った。ほんとうにそう思っていたのが伝わってくるような言い方だった。

「ありがとう。」

この芋は全部残さず食べよう。らんくんはお礼にかーさんの煮しめの残りをあげよう。あ、残りじゃ失礼かな。とにかく何かお礼しよう。そう思った。

冬に向かう夜は冷たくて、手のひらの中の焼き芋があったかくて、それ以上にらんくんの気持ちがあたたかくて、ちょっとだけいい気持ちになった。

あんまり久々の感情だったので、それが「しあわせ」ということにしばらく気が付かなかった。

変な時間に芋なんて食べたので胃がちょっと苦しかったけど、らんくんの芋はバニラの香り付きミルクよりよっぽど心を満たしてくれた。

その夜。

眠りに落ちる直前に、今度あの芋屋の前をふたりで通ったら、抱えるほどの量の芋を奢ってあげよう、

そして当分芋なんて見たくなくなるくらいおなかいっぱい食べよう、金色の光の中で。

そう思った。

 

 

                                 





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