5.


はじめてあったときから不思議だった。
らんくんの瞳の中にかつてよく知る、光を見つけた、その感じ。
懐かしいような、胸の詰まるような。
あたしはこの目を知っている。
きっと、どこかで出会っている。
らんくんは何もかもを分かっている、というかのように、いつもみたいに笑った。
きれいな笑顔で。
 




小学校のときに劇で「白雪姫」をやった。
あたしはほんとうは白雪姫をやりたかった。
でも配役決めのときにどうしても手を挙げる事ができず、気が付くと小人のひとりをやっていた。
小人の役だって素敵だった。(なんてったって重要登場人物の一人だし)それにあたしは立候補して小人の役になったのだから。
でもほんとうは白雪姫がやりたかった。
その一方で白雪姫に手を挙げることをひどく恐れていた。
無難な小人でいいと思ったんだ。
ちいさな頃からそうだった。
いちばん好きなものより二番目に好きなものの方が安全な気がしていた。
いちばんは、裏切られたときのショックが大きいから。
気が付くとあたしは「妥協」ばかりするようになっていた。
こんなもん。
人生なんて、
恋愛なんて、
学校なんて、
命なんて、
こんなもん。
軽視することで回避されてきた。
何から?
ほんとうは白雪姫がやりたかったくせに。
あたしは何から逃げていた?
 




らんくんといるとき、時々、ほんとに時々だけど、
自分がちっぽけなものに感じる。(さっきの小人とかけているわけではなく)
それはいい意味として。
高校という枠からぐわっとはみ出して世界を見る事ができる、っていうのかな。
視野が広がるような、自分を少し高い位置から眺められるような、そんな感じ。
そう、風が通るような感じ。
「自由」ってこういうことを言うのかもしれない。
あたしたちは、ほんとはもっと単純で、純粋で、野蛮で、勇敢な、ただ幸福に貪欲な生き物なんだろうな。
学校にいて、息の詰まるような瞬間は実際問題まだあって。
でも今までみたいにそれが全てだと思わなくなった。
らんくんが、いい具合に風を通してくれていたから。
締め切った部屋の窓が開いて、きもちのいい風がぶわぁっと入った。
こころが軽くなった。
 

きもちのいい瞬間を、らんくんがくれていたから。
 

でも、どうして。
そんな風に思えるようになっても、まだ不思議だった。
らんくんが、やさしい理由。
そんな風に、世界を優しい瞳で捉えることのできる、理由。
らんくんはいつだって今日が地球最後の日のように精一杯生きている気がした。
 



「ミドリ、屋上行こう。そら、みよう。」
その日、うんとよく晴れて、澄んだ12月のある日。
あたしたちはいつものように昼休みを屋上で過ごした。
寒天みたいにつるりと青い空には夜空に忘れられた月が張り付いていた。
「わ、月が見える。明るいところで見ると何だか不思議だね。」
あたしが言うと、神妙な顔でらんくんは頷いた。
「真昼の月ってかなしー。」
声のトーンが微妙だったのであたしは黙った。
最近こういうことが多い。
話していても笑っていても、らんくんは時々今みたいに複雑な顔をする。
きっと本人も気付いてないくらい稀に、でも確実に。
そんな時あたしはらんくんとあたしの距離がとても遠くに感じる。
それはそれは何万光年も。
大袈裟かもしれないけどほんとに感じるんだ。
絶対的な距離。
「らんくん。」
この間の夜道のあたしの大告白からそれは次第に大きさを増し、あたしの胸を覆う。
不安。
思わずらんくんの手を握る。ぎゅうっと力強く。
「らんくん。」
名前を呼んで確かめる。君が確かに隣にいることを。
らんくんはきまっていつもの明るい蒲公英みたいな笑顔で、
「なに?ミドリ。」
そう、言うけれど。知らないでしょう?その距離は果てしなく遠いよ。
「ううん。何でもない。」
呟いて、へへへと曖昧な笑顔を浮かべる。
「ヘンなミドリ。」
うん。
うん、変だ。あたし。
「こうゆーこと言ったら変に思うかもしれないんだけど、らんくん、」
握った手のひらの熱を確かめながら、
「あたしね、」
顔を上げて、瞳を捉える。決心。
「夢を見るの。」
「ゆめ?」
らんくんの顔が歪む。
「うん。夢。」
学校に行けない頃、毎日のように見ていた夢。
それは、荒れ果てた大地。白夜のように夜なのに明るい空。
見上げると、巨大な月。飲み込まれそうなほど大きく、赤い。
そして歌。
魂を沈めるような優しく、哀しい、祈りを込めた歌声。
「その歌声がらんくんの声に似てるの。」
おかしいね、夢なのに。
あたしは言った。
昔の映画みたいなその夢は、綺麗で繊細で儚い、とても切ない夢だった。
その夢を見た後いつも泣きたいような淋しいようなそんな気持ちになった。
そして歌声は、切ないようなその声は、
荒れ果てた大地の中でひとりぼっちのあたしを癒すように優しく包み込むんだ、いつも。
「歌か。」
「うん。」
どんな歌だっけ、と思い出そうとしていると、らんくんは仰ぐように空を見て、
「ごめん、ミドリ。それ、俺。」
そう、言った。
「はぁ?」
「多分、俺だ、それ。」
何言ってんの、思わず言葉を飲み込む。らんくんの瞳は、深かった。あの夜のように。
あたしは、
怖かった。
「そしてミドリが立っていたその荒野の星は、俺の星。」
俺の星、
らんくんはそう、言った。
地球から遠く、何万光年も離れた惑星。それがらんくんの星。
そこは進みすぎた文明と核兵器によって退廃化した世界。
花も、樹も、本も、映画も音楽も無く、
残された人類は他惑星からの助けを待つべく永い眠りにつく。
種の冷凍保存。
 
 
「父さんは地球について調べていたんだ。」
死んじゃったけど、
らんくんはそう、呟いた。
「冷凍保存される前に、一度でいいから地球に来てみたかった。」
そう言うらんくんの言葉はかなり完成されていて。
あぁ、勉強したんだな、とぼんやり思った。
「俺の名前、ほんとうはコードネーム216。楠と蘭は、父さんが好きだった地球の植物。」
この目で見れてよかった。
「だから、」
ごめんね?ミドリのこと、だましていた。
哀しそうに、申し訳なさそうに。
騙す、なんて言葉使えるんだ、らんくん。
っていうかさっきから思考回路めちゃくちゃ。話についていけない。
らんくん、
星って何よ?
冷凍保存って何よ?
ほんとうは、ほんとうに、君はエスパーだったのかよ?
らんくん。
あたしはきっと、泣きそうな顔してた。でも泣けなかった。
泣くのか、笑うのか、困惑するのか、
自分がどうしたいのか分からなかった。
ただこの話が嘘じゃないこと、きっと紛れもない真実だということだけが分かっているただひとつのことだった。
嘘でしょう?
嘘だよね?
嘘って言ってよ。
「ごめん、ほんと。」
見せてあげる、らんくんはあたしの心を読んでそう言って、ぎゅうっと強く手を握った。
その瞬間、あたしは目の当たりにする。
あの夢とそっくりの映像が頭の中に流れ込んでくる。
環境汚染、荒廃、核戦争、混沌、選民思想、憎しみ、裏切り、ありとあらゆる種類の悲しみ、絶望。
目を見開いたまま、
あたしは知る。
痛いと思った。
こんな世界は、痛い。
ねぇらんくん、君はこんな世界に生まれてきたの?
夢見ることも知らずに。








 
らんくんは。
あたしが知っているらんくんは、
図書館のバイトをしている。
本と音楽と焼き芋が好きで、
「ドラえもん」の映画を観て泣いちゃうような、
男の子のくせに泣き虫な、らんくん。
友達が多くて、「愛があるから」って認めて、
冬の蒲公英みたいに笑う、あたしに王子様のようなキスをしてくれた、
らんくん。
「この星ではこれが愛のしるしでしょう?」
抱きしめた身体はあたたかかった。
その温度はあたしを包んでくれた。
自分のことを好きになれそうな気がした。
夢を見ることを思い出した。
その温度は、
あたしに「生きたい」と思わせた。
 
 
 

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