6.


俺は父さんが嫌いだった。
地球マニアの父さんは俺の星では変わり者と称されていた。
地球の文明レベルは俺の星の黎明期にも満たないものだったし、そんな星が末期である俺の星を救うとも思えない。
でも父さんはしつこく地球について調べていた。
「地球って星がそんなにいい星だとは思えないよ。」
「文明だって未発達だし、それに、」
「それにやっていることも愚か。」
俺たちの星と変わらない。戦争、略奪、貧困、差別、俺たちの星とおんなじ末路。
「いずれこの星みたいになるよ。」
それが、地球に対しての俺の感想。
「蘭、」
父さんは俺のことをいつもこの名前で呼んだ。
「コードネーム216、それが俺の名前だよ。」
そう言っても、
「蘭。」
かたくなにこの地球植物の名を呼んだ。父さんの好きな花らしい。俺には理解できない。
「それでも地球には私たちの星にはない何かがあるんだよ。」
何かって、何だよ。
「私たちの星にはないもの、映画、本、絵画、音楽、恋愛。」
そういうものの中に地球にしかないものがある。
いつもそれが口癖で、
くだらないものを好んだ、父さん。
「何故この星にはそういうものがないんだろうな、」
「蘭。今度生まれてくるときは地球に生まれていきたいな。」
それが、遺言。
父さんは当時星に蔓延していたウィルスにやられて死んだ。
悲しくはなかった。
悲しいなんて言葉、知らなかった。
俺たちは泣くことができないんだ。
そういう機能は受け継がれてきていない。
無駄な機能は退化して、生きることに必要な機能だけが存続していく。
そういう星。
何のために?
何のために生きているの?
いよいよ冷凍保存されると知ったとき、俺ははじめてそう思った。
俺は、何のために生きているの?
はじめて、父さんの言っていた地球に行きたいと思った。
永い眠りに就く前に一度でいい。
父さんが好んだ花、俺の名前を見てみたかった。
 
 
 
強く念じて、意識を具象化させて、俺の意識を地球に飛ばす。
はるか遠く、何万光年も離れた星。
俺と父さんの最後の惑星。
「地球に来て初めて聞いたのはたくさんの人の声だったんだ。」
嫉妬、羨望、嫌悪、いろんな声が聞こえた。
俺は意識を絞った。注意深く、同調するものだけを選べるように。
たくさんの、
たくさんの声の中で聞こえてきたのはミドリの声。
何のために生きているの?


俺と同じ。心の声。
 
 





俺たちは何のために生きているの?
 






 
気付いて欲しかった。
あたしがここにいるということ。
好きだといって欲しかった。
自分の存在を100パーセント肯定してくれる人が欲しかった。
ほんとうは、
死にたくなかった。
あたしが死ぬことで何人の人が泣くのか見てみたかった。
何人の人に必要とされていたのかを確かめたかった。
ただ、それだけ。
あたしはただ、抱きしめてくれるあたたかな腕が欲しいだけだった。
自分からは何もする事ができない、ただ欲しい欲しいを繰り返していた小さな子どもだった。
どうしてひとりきりじゃ生きていけないんだろうね。
自分の血とは違う、違う誰かの中に自分の存在意義を見出そうとするのは、
なぜ?
ねぇ、らんくん。
ほんとうは単純なことなの。
君のことが掛け値なしに大好きだ、
そう言ってもらいたかったの。
ただ、それだけなの。
 



 
あたしたちは誰かのために生きたいと願う。
自分と、大切な人々のために。
転じてそれは、
愛のために。
 
 
 
 
らんくんの星にはそれがなかったんだね。
 
 
 
 
冬。12月。
らんくんがたくさんの人が見たいというのであたしたちは渋谷にいた。
街はクリスマスシーズンで、夕暮れの中、手をつないで歩くとあたしたちはどこにでもいるようなカップルみたいだった。
信号や、ネオンや、クリスマスツリーが光ってとてもきれい。
らんくんの髪もきれい。
最初会ったときとおんなじ。
でもこの髪を見るのも今日で最後だった。
らんくんは、
星に帰る。
「帰るっていっても意識だけを飛ばしてきていたからね。」
もうそろそろそれが限界なんだと、らんくんは言った。
「そっか。」
あたしたちはファイヤー通りを一本はいった路地にある汚い公園で例のごとく焼き芋を食べていた。
らんくんにどこに行きたい?と聞くとひとがいっぱいいるところ、と言い、
何が食べたい?と聞くとてっちゃんの焼き芋と言うので地元で買った焼き芋を渋谷で食べているという始末。
(ちなみにてっちゃんというのは焼き芋屋の親父の名前。)
「てっちゃんの芋は冷めてもうまいねぇ。」
と、らんくんが情緒のないことを言ったので、しかたなく「そうだね。」と言った。
公園の壁にはたくさんの落書きが書かれていた。
相合傘もあった。
「あたしたちも描こっか。」
そう言ってそこにある多くの相合傘の隣に書き連ねた。
蘭と碧。
「お花の蘭、なんだよね。」
「うん。」
「あたしは地球の色の碧だよ。」
泣きそうになってしまったので慌てて油性ペンの先に視線を移す。
「あたしの名前を呼ぶときに、地球のことも思い出して。」
らんくんはとてもとてもやさしい響きで、
「うん。」
と言った。
あたしはどうしても聞いておきたくて、
「らんくん、地球に来てよかった?」
と聞いた。
聞かなくてもその答えは分かっていたのだけど、何となく。
「よかった。」
らんくんは言い、
「地球に来て、いろんなこといっぱい分かったよ。」
そうして、笑う。
冬の蒲公英みたいな、あたしのとても好きな笑顔。
悲しいこと、
悔しいこと、
うれしいこと、
しあわせなこと、
笑顔の理由、涙の理由、生きているということ。
らんくんが地球に来て知った、すべてのこと。
聞かなくても分かるような気がした。
いつも地球最後の日のように精一杯生きて、
らんくんが教えてくれたんだよ。
あたしもいっしょに感じさせてくれていたんだよ。
「いつか、他惑星が助けに来るとしたら地球人がいいな。」
らんくんは口の端をあげて笑い、
「未発達な文明だけどね。」
あたしも笑った。
 
 
 
 
 
駅へと向かう道の途中。一見すればほんとうにどこにでもあるようなデートの終わりの風景。
でもらんくんはこのたくさんの人の中で、全てを目に焼きつけていた。
忘れないように、忘れないように。
祈るような心の声が聞こえてきそうだった。
たまらず。
あたしは手をつなぎながら静かに泣いた。
そんなあたしの涙に気付いてか、らんくんはあの包み込むようなやさしい熱で、あたしの手を強く握った。
「俺、ミドリのこと忘れないよ。眠っている間もずっと。」
「あたしも。夜空と焼き芋を見るたびにらんくんのこと思い出すと思うよ。」
涙声で言ったのになぜか噴出されてしまい、
「うん、思い出して。」
とにこにこしながら言った、らんくん。
スクランブル交差点の前で立ち止まる。信号を待つたくさんの人々。
手をつなぐカップル、女の子の友達同士、お父さんとお母さんと手をつないで幸せそうに笑う子ども。
あぁ、この星は、愛の星だ。
そう思った。何となく。
「ミドリ、」
らんくんがあたしの名を呼んだ。涙でぐしゃぐしゃの顔をあげる。
「俺は宇宙の片隅で歌ってる。永い眠りの底で、ミドリのために歌を歌うよ。
いつも、どんなときも、どんなことがあっても、ミドリがたくさんの星の中から俺を見つけることができるように。」
ミドリのために歌をうたうよ。
そう言ってらんくんは恋人がするようなキスを、
あたしにした。
「この星ではこれが愛のしるしでしょう。」
そのうち信号が青になって人々が流れ出しても、あたしは動く事ができなかった。
らんくんがゆっくり歩き出して、
そこに行きたいのに。
待って、
そう、言いたいのに。
やがてらんくんはスクランブル交差点の真ん中で振り返りまっすぐにあたしを見つめてから天を仰いだ。
深く息を吸い込んで、
叫ぶ。
 
「この星はーーーーーーー、」
人々が振り返る。
「愛の星だーーーーーーーーーーーーーー。」
あたしは、らんくんを見失ってしまわないよう、何度も、何度も涙を拭った。
「そして俺はーーーー、」
「ミドリをーーーーーー、、」
泣かない。
泣かない。
泣いてたまるもんか。
「愛してるーーーーーーーーーーー。」
愛してる、
愛してる、
愛してる、
何度もそう叫んで、
たまらず、瞬きをした瞬間に、
らんくんは目の前から消えていた。
 
 
 
 



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