月無夜に仕掛けた罠が じわりじわりとやって来る さぁ、もうすぐ引っ掛かるよ。 もうじきゲェムも終わりだよ。 第7話 スパイダー 其の時が来るのが怖かった。 永遠のように永い時間が過ぎ、(ほんとうはたいしたことない) 仕事を終えたクロの一言は、 「あんた誰だ?」 だった。 「あんた何者だよ。そらじゃねーな?」 僕は、単純に驚いてしまった。 「蜜蜂」は未だ言葉すら発していない。 漂っていた悲壮感が少し和らいだ気がした。 このひとなら、 クロなら、 「流石やわ。お兄さん。ようわかったな。うちがそらやないこと。」 「蜜蜂」は試すように言い、 クロは未だ挑戦的に挑みかかる。 「なんつーか、雰囲気。 それよりそらはどこだよ。」 「蜜蜂」は瞳を落とす。 「そらは、眠ってるわ。」 ソラの中で 最後の一言は呟くように言い、 ここからが、 戦いだ。 「蜜蜂」はずいぶん長いこと喋っていたと思う。 時折言いにくそうに話を澱ませることもあったけど、 ソラと出会ってからの数年間を、 全て話した。 中には僕も知らない話もあって、 改めてソラの受けてきた傷の多さを知る。 クロは話の間ずっと黙っていた。 空中の一点を静かに見つめて、 「蜜蜂」の話に最後まで口を挟むことはなかった。 クロの表情からは何も読み取れず、 先ほど抱いた微かな期待さえも崩れ落ちそうだった。 「蜜蜂」の話が全て終わるとクロは静かに立ち上がった。 そして、 「話になんねぇ。」 吐き捨てるようにそう言った。 「俺がそんないい人だと思うか。 出会って未だ1ヶ月にも満たねぇガキの尻拭いなんかやってられっかよ。」 僕は傷ついた。 そしてひどく腹が立った。 クロの言うことは確かにもっともなんだけど、 2人の間にはこの僅かな時間の間に信頼以上のものが芽生えているような 気がしてたから。 裏切られたような気分だった。 「大体ソラの中には沢山の奴が居たんだろ。 またそういう奴等を探して一緒に戦ってもらえばいいじゃねぇか。」 クロの攻撃は続く。 「自分が世界でいちばん不幸だと思うなよ?甘えんな。」 最後は、鋭いナイフのように胸をえぐり、 今まででいちばん深い傷を、 ソラに作った。 「わかった。出てくわ。」 な?ソラ。言い聞かせるようにに言って、 「蜜蜂」は姿を消した。 眠ったままのそらと、 多分全てを聞いているであろう ソラを連れて。 昼間は何とか持ちこたえていた闇夜から、大粒の雨まで降り出して、 秋雨の夜に、僕らはまた旅立った。 狼に見つからないように。 闇の合間を縫って。 流れ続ける涙を庇うように、 僕らは、 また逃げる。 また、 逃げる。 何処まで? 何処まで、逃げる? 気が付くと元に戻っていたそらが、吐き捨てるように呟いて立ち止まる。 「そらたちのいくとこなんかどこにもないよ。」 だからって此処にいたらあいつに見つかっちゃうよ! 「もーどーだっていーよ。もーつかれた。」 期待するのはうんざり。 期待はいつも裏切られるもんね。 そらの瞳が、そう訴えていた。 だから、もうお終い。 鬼ごっこはもうお終い。 大人しく鬼に食べられてしまいましょう。 それで、 お終い。 ね? 身を隠す適当な場所もなくてそらは道端にそのまま座り込む。 厚ぼったい空からぼとぼと落ちてくる大粒の雨が僕らを濡した。 涙と一緒になって流れていく、雨。 見上げるとまるでナイフのようで、幾度も幾度も僕らを貫く。 ほんとうにお終い? これでいいの、そら? ほんとうにこのまんまでいいの、ソラ? 祈るように僕が呼びかけたときだった。 「おぅい、」 頭上からそんな声がして、 「お2人さんよ、そんなとこで寝てると風邪引くぜ。」 黒い、大きな傘を差し出す、其れはハツマさんだった。 「クロさんとけんかしちまったんだってなぁ。」 わはは、と豪快に笑ってそらの頭をぐしゃぐしゃに撫でる。 「クロさんには俺からも言っておくからよ、 今日はうちに泊まんな。」 そして僕をひょいと抱き上げた。 はじめてあった日の、クロのように。 流れる涙はそのままに、 そらは静かに付いて来た。 ハツマさんの家は「三日月亭」からそう遠くはない雑地区にあった。 そこは店や家々が混在する地区で、いろんなにおいがした。 食べ物の匂い、お風呂の匂い、お酒の匂い、 ハツマさんの家は湿った木の匂いと 僕らは2階の客間に案内され、 「ゆっくり休め。風邪引くなよ。」 という言葉とともにベットに送り込まれた。 どうやらハツマさんはこの家に一人で住んで居るらしい。 僕らはとりあえず濡れた衣服を脱いで、 其の硬いベットに身を移した。 瞼を落とすと襲ってくる闇に向かい、 そらはしくしくと泣き続けていた。 外は寒々しい雨で、 目覚めてもよくなる可能性がこれっぽちも見つからなかった。 むしろ、 きっとそらもおんなじだっただろう。 ただ、これ以上悪くならないことだけを強く、祈って、 僕らは眠りに付いた。 夢を見た。 嫌な、嫌な感じの夢だった。 内容は良く覚えてない。 ただ、白黒の画面に光る銀の糸。 ゆっくりゆっくり手繰り寄せる、細い骨ばった手。 其の手に絡みつく鮮烈な紅。 血だ! そう思った瞬間に飛び起きた。 背筋がぞぉっとする。 まるで罠に掛かるのを待つかのように、 ゆっくりゆっくり、糸を手繰り寄せていく、一人の男の、手。 心臓が早鐘のように波打っている。 同時に2階へ向かう足音を捉えた。 1段1段近づいてくる。 そらも起きているらしく隣で身を硬くしているのがわかる。 だって、 でもそんなことあるはずない。 嘘だ。 其れは、 僕らがとてもよく知る足音だったから。 ギィ・・・ドアが開く音がして、 「見つけた。」 あいつはついに、此処まで来てしまったんだ。 どうして? 何度も繰り返す。 どうして、「ヒソカ」が此処に居るの? そらの顔は恐怖で強張り、体はがたがたと震えていた。 「どうしてって顔してるネ。そら。うん、きみはそらだろう? 当然じゃナイカ、僕は君の父親ダヨ。」 ゆっくりヒソカはベットに近づく。 そらは狂ったように首を振り続けている。 「君が出て行ってから僕は散々探したンだ。君のことヲ。」 「そうしたら或る日ネ、 「僕はその人に言ったンダ。其の子は家出した僕の娘です。 娘に会わせてくれるのなら何でもしてあげますよ、ッテ。 そうしたら貴方だってしあわせになるし、 ネ?そうでショウ? ヒソカはそう言い、そらに触れた。 思わずそらがびくっとなる。 其れをヒソカが逃がす筈がない。たちまち顔を歪めた。 「いけませんネ。お義父さんのことをそんなに怖がっちゃぁ。」 そうしてそらの肩を?むと、たちまちベットに沈める。 「いや。」 そらの目から涙が溢れ出す。 「お仕置きですヨ。」 にぃっと笑って紅い舌を出す。おおかみのように。 「やだよー。」 「呼んでも誰も来ませんヨ、そら。」 ヒソカはそういうやつなんだ。 人の一番大切な何かを瞬時に見抜き、揺さぶりをかけてくるんだ。 こういうやりかたで、 何度も、 何度も、 人なんか信用できないこと、 僕らに自由はないってこと、 ソラの目の前で、 何度も、 何度も。 其の先は知っている。 ありとあらゆる苦痛。 二度と逃げようなんて思わないように、 ありとあらゆる『お仕置き』を、 ソラに与えるんだ。 「サ、はじめましょうカ。」 深く、深く口付けて、 ヒソカがそらに手をかけたとき、 僕は、 ただもうがむしゃらに、 彼のもとへ走り出していたんだ。 僕がいちばん欲しいもの。 其れは切れ味のいいよく磨かれたナイフ。 僕がいちばん欲しいもの。 其れは肉をも切り裂く鋭い牙。 僕がいちばん欲しいもの。 其れは現実を変える魔法の呪文。 僕がいちばん欲しいもの。 其れは君の体を隠す蓑。 でも、 たった今、 僕がいちばん欲しいのは 君の事を守れる勇気、 そして強さ、なんだ。
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