雨の夜とビール
「あぁぁ、疲れたー。」
まるでそのまま溶けてしまいそうなほどに、リビングのソファーに沈んで、環くんはそう言った。
彼のその姿は、何ていうか、アメーバに似ているなぁ、と思った。
外はしとしと雨が降っている。部屋の中はあたたかくていいきもち。私はカツオのブラッシングをしていた。お風呂上り。ヴァニラの匂い。
「何、どうしたの。何かあった?」
冷蔵庫からビールを出して開けていると、環くんはそのままの恰好で手だけを差し出してきた。
しょうがないので、私は開けたビールを渡してあげる。
「ありがとう。」
短く言って受け取る。環くんの丸い爪。環くんの指は荒れている。働く男の人の手だ。
ビールがなくなってしまったので、私はミネラルウォーターをなみなみとコップに注いだ。冷蔵庫を開ける音にカツオが反応する。
にああ、
と間の抜けた声でカツオは言う。私はカツオにミルクを入れてあげる。ぴかぴかに光る銀色の餌入れ。
「花さんはさ、誰かのことが嫌いになったり、自分の仕事が嫌になったりとか、する?」
「・・・するよ。もちろん。」
そんなのしょっちゅうだ。多分、環くんより、ずっと感情的になる。
「するんだ、」
「うん。」
しとしと降り続く雨が、夜を濡らしているかのような錯覚。
雨樋を伝う、水の音。
「環くん、ごはん食べる?それとも食べてきちゃった?」
「食べてない。今日、ごはん何?」
「鯖の塩焼きと菜の花の辛し和え。あと白いごはんとお味噌汁。」
「食おうかな、それ。」
「うん、沢山食べて。」
焦ったようにそう言うと、環くんは弱々しく笑った。
「ごはんの後は、お茶淹れてあげるよ。あったかいミルクティー。編集さんから貰った鯛焼きもあるの。食べようね。」
言いながら、環くんの髪を撫でる。何度も。
環くんの髪は甘い蜜色。春のひだまりのようだ。
ふわんとした香りの髪に唇を付けて、明日が彼にとっていい日であるように、祈った。
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